騙される楽しみ

-受動性の快楽-

私は日ごろ霊的領域においては精神を受動的にすることの危険性を訴え、信仰とは「能動的受動性」であると言っている。私のところに来る多くの混乱した方々の特徴はこの受動性であり、神の下さった神の子としての権利や権威の行使を自ら放棄し、"預言者"から"個人預言"をいただいただの、"声"に従っただの、牧師の言うとおりにしただの・・・との他人任せの態度に落ちているケースがほとんどである。

あるケースでは、「あなたは30歳までのこれこれのタイプの方と結婚するでしょう」との"個人預言"をいただいて、その成就を待ち望んできたが、すでに自分は30歳を超えてしまった、どうすればよいのか、というものがあった。このような時には私は「あ〜あ」というところが率直な感想である。「あなたの内のキリストはどのように導かれましたか、あなた自身で神に願い求め、探し、また叩きましたか」と問うても、「いえ、分かりません。何もしてません」となる。これでは占いである。

しかもこのようなケースが近年きわめて増加している。学生も同じであるが、与えられるものを何らの吟味も批判もせずに、ただ受けるだけ・・・、聖会を催す時「個人預言もいたします」と言えば動員数が増えるとか・・・、やれやれ、すでに預言が商売になっている。実際この世でも占い師は大盛況である。

しかしかく言う私も実は受動的に相手に身を任せて騙されることはけっこう楽しみである。恋愛などもその典型であろう(夫婦もかな・・・?)。実は精神状態を完全に受動モードにすることはある種の快感をもたらすのである。これは精神にとっては非常に安楽な経験だからだ。ただし騙されても致命傷を受けないセーフネットのある場合に限るが・・・。例えば映画。私は映画が大好きであり、しかもビデオではなく映画館でスクリーンが視界に一杯になるような状態で見るのである。ちなみに『論理哲学論考』で有名な哲学者ヴィドゲンシュタインもポップコーンを食べつつの映画鑑賞が大好きだったらしい。精神の緊張を映画で解く気持ちはよく分かる。

最近のものは映像がCGなどできわめて巧妙にできており、まず視覚野が完全に騙される。さらにストーリーも私の好みは恋愛物やお涙頂戴物ではなく、アメリカ人の好きな真実を追究する物、人間の尊厳を問う物、戦争などにおける人間の真実を暴く物、そしてマッチョ系のアクション物である。この意味で日本の映画は、寅さんとゴジラ以外は、残念ながら映像もストーリーも稚拙で見るに耐えない(ちょっと逆説的ですが)。特にキリスト教界の物はあえてご遠慮している。ちなみに最近見たものでは「マジェスティック」が良かった。

あと秋葉原などの街頭で行われる実演販売も楽しみである。口先八兆手八丁のオジサンがつまらないシロモノを、絶妙のトークと実演によって見事に魅力ある商品へと演出する様は見事である(最近ではナントそのオジサンが全国ネットのTV通販番組に出ていた!)私などはつい騙されて買う羽目になり、家に帰ってきて「何だコレ!?」と幻想が覚めてしまい、女房にも「また!?」と言われるのがオチであるにもかかわらず、つい買ってしまうのである。騙されて買うことには実はある種の喜びがある。

マリックさんの超魔術なども面白い。またUFO番組なども大好きである。昔は矢追純一氏が有名であったが、UFO番組などは何をおいても見ることにしている。この前もつい騙されて、宇宙人の解剖記録のビデオを9000円も出して買ってしまったが、後にまっかな偽物と分かり、家族の顰蹙を買った。あるいはネッシーなどのUMA(未確認動物)なども心惹かれる。今回英国に行くが、ぜひミステリーサークルとネス湖を見てみたいと願っている。これらは実に心が躍る経験を提供してくれる。

先々週のTime誌に"CULT SHOCK"と題して日本の顕○会の特集があった。オウム以降様々のカルトが世をにぎわした後で、またまた同様の終末論を唱えるカルトが繁盛する病理を報告していた。実際詐欺師がはびこり、カルトの教祖に貢いでしまう方々が引きも絶えずという現状は、実は人間性の本能に訴えるからである。すなわち人は自分の人生あるいは自分自身を引き受けてくれる存在を求めることがその根底にある。以前オウム事件の時にはTime誌は「カルトは日本の霊的真空に吸い寄せられる」と論じたが、まさにそのとおりで、人は自分の存在の中核にある空虚を何とかして埋めたいのである(注)。もちろんそれは神ご自身である。
(注)本日のニュースステーションでピーター・タスカ氏がこの空虚を埋めるために、日本は今後政治のポピュリズム(愚衆化)と国粋主義が入り込むだろうと警告していた。私はこのような"預言"には大賛成である。
しかし人生の"遊び"として、安全性を確保されている領域において、あえて精神を受動的モードに置き、相手の言うがままに騙されてしまう快感を味わうことも人間性にとって必要かなと考えている。(02.07.16)