満足を欠く時に


どうか、あなたの口づけをもって、わたしに口づけしてください。あなたの愛はぶどう酒にまさるからです。

ここに、ひとりの婚約者(女性)がおります。そして、彼女は、うぬぼれとわがままのために自分の喜びばかりでなく、自分にすべてを与えた相手の喜びもだいなしにしてしまいました。彼女は、彼のいない所では決して平静を保つことができないのに、彼を心から信頼することができません。そして彼女は、自分の幸福のために是非とも必要となった彼に、自分の名前、権利、財産、意志を明渡すことを好まないのです。彼女は、彼に自分のすべてを明渡すことなしに、ただ彼のすべてを喜んで求めます。しかしそれは、決してできようはずがありません。彼女が自分の名前をしっかり握っている限り、決して彼の名前を要求することはできません。もし彼女が彼に従うことを約束しないならば、彼を愛するということも、彼を尊敬するということも約束できないのです。彼女の愛がすべてを明け渡すところまで高められない限り、彼女は満足していない愛人としてとどまらなければならないのです。―彼女は満足しきった花嫁のように、夫の家庭の中に安息を見出すことができません。自分の意志や、あるいは自分の持ち物に対する支配権をしっかり握っている限り、彼女は自分の力で生きることに満足しなければなりません。彼女は、それ以上彼のものまで要求することはできないのです。

わたしたちは、自分の力以上のこと、また与えたり行ったりするのに困難を感じるようなことを、主が要求されるかもしれないと恐れます。そして、主にすべてを明け渡すことをためらいます。わたしたちの愛する主に対するこうした根深い不信感以上に、堕落の大きさと不真実性を示す悲しむべき証拠が、いったいほかにあるでしょうか。満足なき生涯の真の原因は、往々にしてこの明け渡されない意志にあります。主にすべてを明け渡さないとは、なんというまちがった愚かなことでしょう!

こうした主に対する不信は、わたしたちのために常に「悲しみの人」であった主の優しいみこころを、どんなにか新たに悲しませ、傷つけることでしょうか!・・・しかし、真の愛はある状態に静止していることができません。真の愛は、消えてなくなってしまうか、ますます燃え上がるかのどちらかでなくてはなりません。わたしたちのあわれむべき心から、様々のくだらない恐れが起こるにも関わらず、神の愛はついに勝利を収める運命にあります。それゆえ、花嫁は声を大にして叫ぶのです:

あなたのにおい油はかんばしく、あなたの名は注がれたにおい油のようです。それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。

大祭司に注がれたにおい油のようなにおい油は、他にはどこにもありませんでした。というのは、わたしたちの花婿は、主であると同時に祭司でもあるからです。震えおののく花嫁は、恐れを完全に取り除くことができません。しかし、不安と主に対する飢え渇きに耐えられなくなり、ついにすべてを明け渡そうと決意し、心から主に従う者となります。彼女は、事故のすべて―心も手も、人を動かす力も所有物も―彼に委ねます。主が共に居られないことほど、耐えがたいものはありません。たとえ、モリヤに導かれようと、あるいはカルバリに導かれよとうも、彼女は彼にしたがって行くのです。

あなたのあとについて、行かせて下さい。わたしたちは急いでまいりましょう。

しかし、おお、この全き献身の後に、何が続くのでしょうか。驚くべき歓喜が、あなたを覆い包むのです。そこに見出すものは、モリヤでもカルバリでもなく、むしろ王御自身なのです。心が全く明け渡された時に、イエスの支配が始まります。そして、イエスが支配されているところに、真の安息があるのです。それから、花婿は花嫁をどこへ連れて行くのでしょうか。

王はわたしをそのへやへ連れて行かれた。

まず最初に導かれた所は、王の宴会場ではありません。―まず最初は、王と二人きりになることです!

何と言う完全な導きでしょう!わたしたちは、愛する者と面会するのに公の席だけで満足するでしょうか。いいえ、わたしたちは、愛する人を身元に引き寄せたいのです。そして彼を全く、わがものとすることを願います。わたしたちの主もまた同じです。主は、今は全く捧げた御自身の花嫁を、身元に引き寄せられます。それは、主の驚くべき神聖な、親しい交わりを享受し楽しむためです。教会の花婿なる主は、花嫁なるご自分の民が主と親しい交わりを結ぼうとする以上の熱烈さをもって、彼らと親しい交わりを結ぶことを切に求めておられます。

あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。

わたしたちは、花嫁がそこで喜びをもって見出したものは、彼女の予期していた十字架ではなく、実に王なる方―彼女の王―であったことを見ました。これは彼女の献身の第一の実です。

わたしたちは、あなたによって喜び楽しみ、ぶどう酒にまさって、あなたの愛をほめたたえます。おとめたちはま心をもってあなたを愛します。



■出典:「ソロモンの雅歌―主イエスとの一致と交わり」、ハドソン・テーラー、いのちのことば社、pp.14-22(抜粋)


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