孤独に陥る時に



第7章 すべてに超えるイエスへの愛について

1.イエスを愛するとはどんなことか、またイエスのために自身を軽んじるとは何であるか、を悟った者は(詩篇119:1,2)、幸いである。あなたの愛するものを、愛するもの(イエスのこと)のために捨つべきである(申命記6:5)。何となればイエスは、すべてに超えて一人愛せられることを望まれるからである。被造物の愛は、当てにならず不確かだが、イエスの愛は、真実であり、永続的なものである。被造物に執着する人は、不定なそのものと共に潰え去ろうが、イエスにすがるものは、永く確固として立つであろう。さればその方(イエス)に愛をささげ、あなたの友として保持しなさい。彼はすべての人があなたを捨てても、立ち去らず、あなたがついには滅びることを放ってはおかれないであろうから。すべてのものと、いつかあなたは別れなければならないのだ、欲しようと欲しまいと。

2.生死と共にあなたの身をイエスのもとに置きなさい。そして彼の真実な心に身を委ねなさい。彼は、あらゆる人があなたを離れ去るおりにも、一人であなたを励ます力を持っておいでなのだ。あなたの愛する者は、他人に立ち入らせないような性の方である。それで自分だけであなたの心を占め、そこで王者のように自分の玉座につくことを望まれるのだ。もしもあなたが、すべての被造物をあなたの心から取り除くことができたならば、イエスは喜んであなたの中に住まわれるだろう。何にもせよ、イエス以外に、あなたが人々の上に置いたものは、ほとんどみないつか滅び失せているのが見られよう。風に吹かれる葦に信頼を置いたり、それにもたれたりしてはいけない、なぜならすべての肉なるものは野草に似て、その栄えはすべて野の草の花のように、散り布くであろうから(イザヤ40:6)。

3.もしも人の外見だけに重きを置けば、すぐにも騙されよう。されば、もし他の事物にあなたの慰めと利益とを求めるならば、もっとたびたび損失を覚えるであろう。もしもあなたが、あらゆるものにイエスを求めるならば、必ずそこにイエスを見出し得よう。だが、あらゆるものに自分自身を求めれば、あなた自身をまた見出し得ようが、ただそのために滅びに至るまでである。なぜならば、もしイエスを求めない時には、人間は、自身にとって、世界全体、あるいはその敵のすべて以上に、有害なものであるから。

■出典:「キリストにならいて」、トマス・ア・ケンピス、岩波文庫、pp.79-80


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