試練の時に



信仰を強めるために重要な最後の点は、信仰の試練が来た時、神に働いていただき、自分の力で自分を救い出そうとしないことである。どこにおいても、神が信仰をお与えになる場合には、他にも理由はあるが、試みを受けるという、そのことのために与えられるのである。

然り、私たちの信仰がどんなに弱くても、神はそれを試みられる。しかしすべての事柄において、穏やかに漸次的に、忍耐強く導かれる。最初、私たちの信仰はほんの少し試みられるだけであろう。なぜなら、神は私たちが担い切れないほどの重荷を負わせることはないからである。さて、信仰の試練の時がやって来ると、私たちはともすれば、神に不信の念を抱きがちである。そして、神を信頼するよりもむしろ私自身、あるいは友人、あるいは環境を信用するのである。

私たちは単純に神を見つめ、神の助けを待ち望むよりも、なんとかして自分を救い出そうとするであろう。しかし、もし忍耐強く神の救いを待ち望まないなら、もし自分で救い出そうとするなら、次の信仰の試練が来た時に、また同じことが起こるであろう。再び自分を救い出そうとし、新たな試練が来るごとに信仰は減少するであろう。ところが逆に、神の助けを見るために、御手が差し伸べられるのを見るために、神のみに信頼して静かに立っているなら、私たちの信仰は増すであろう。そして信仰の試練の時に神の御手が差し伸べられるごとに、信仰はさらに増すのである。

信者が信仰を強められたいと願うなら、神に時を与えなければならない。神が信仰を試みられるのは、ご自身の子供にとってちょうど良い時に助け、救い出すことをどんなに喜んでおられるかということを実証するためなのである。

■出典:「ジョージ・ミュラーの祈りの秘訣」、ジョージ・ミュラー著・A.E.Cブルックス編/松代幸太郎訳、いのちのことば社、pp.38−39


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