大切な存在を失った時に



孤独に苦しんでおられる方、心が渇いて疲れ果てている方々がおられるでしょうか。麗しい主イエスの腕の中に飛び込みましょう。そのときにあなたは、孤独のさなかにあって、主はあなたの最愛の友となってくださるということを発見するでしょう。私自身がこのことを恵みによって体験しました。62年と5ヶ月の間、私は愛する妻と本当に楽しい生活をして来ました。ところが現在私は92歳なのですが、また再び独りぼっちになってしまいました。妻を失ってしまったのです。

しかし、皆さん!私には心を打ち明けることのできる方がいるのです。私は自室を行ったり来たりしながら、主イエスにこう言います。
最愛のイエス様。また独りぼっちになってしまいました。しかし独りでありながら、独りではありません。あなたがともにいて下さるからです。あなたは絶えず私の友となってくださいました。ですから、主よ、私を慰めてください。憐れんで、力づけてください。この貧しい僕に、あなたが必要だと思われているすべてをお与えくださいますように。

愛する皆さん、聞いてください。これは現実です。きれいごとやおとぎ話ではなく、主イエスは私たちの最愛の友なのです。ですからこのことを知っておいてください。私たちは、確かに主イエスは自分の友であると確信できるまで、満足してはなりません。そしていつも変わらず最愛の友なのだと納得できるまで、あきらめてはなりません。このことを黙想してみてください。主イエスは私たちを見捨てることも、見離すこともありません。常にどのような状況にあっても、主イエスは確かに私たちの友であることを実証されます。

そして主は、この恵みを単に数ヶ月、あるいは数年の間だけお与えになるのではありません。そうではなく、この地上の旅路の最後まで、いつまでも最愛の友でいてくださるのです。ダビデ王も詩篇23篇でこう語りました。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたがわたしとともにおられますから。


■出典:「祈りの力」、ジョージ・ミュラー、マルコ−シュ・パブリケーション、pp.119-121


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