永遠の励まし−ウォッチマン・ニーの最期



【解説】今世紀中葉、中国大陸において主によって用いられた器がおりました。通称ウォッチマン・ニーとして知られる一人のクリスチャンです。彼は若いうちから主に用いられ、多くの人々に福音を伝え、また多くの深いメッセージを解き放ち(⇒Christian Fellowship Publishers)、それらは全世界のクリスチャンにとっての霊的遺産として、現在も私たちに伝えられております。特に「キリスト者の標準」は欧米でも数十年にわたりベストセラーとなっており、この言葉によって霊の目が開かれて、現在主の御手にあって有用な器として用いられているクリスチャンが大勢おります(私のメンターである英国のColin Urquhartもそのひとりです)。

ニーは中国大陸において、いわゆる「小さな群れ」とか「家の教会」として知られる人々を興しました。中国が共産党に支配され、文化大革命の嵐が吹き荒れる中で、クリスチャンに対する迫害も厳しくなりました。山崎豊子原作のドラマ「大地の子」を見ると、その実際が私たちにも理解できます。そして現在も迫害は続いています。兄弟姉妹による自由圏に逃れるようにというアドバイスにも関わらず、ニーはあえて中国に留まりました。そして強制収容所や労働改造所において、自らの救い主であるイエス・キリストのゆえに、あえて20年を過ごしました。この20年は完全に主にのみ捧げられたものでした。彼と神のみが共有する尊い時間だったのです。

私たちはニーのような有用な器が何もできずにこのような束縛にあることは、何と言う無駄であろうか、と考えます。しかしすでに若い頃からニーは、「福音の究極の目的は、主のために自分を無駄に注ぎ出すことである」と言っていました(→「働きに倦む時に」)。主のために高価なナルドの香油を注いだ女に対して、ユダは、「何と言う無駄をするのか」となじりました。しかしイエスは、「この女のなしたことは福音の伝えられるところでは永遠に記念される」と言われました。

彼の幽閉中についてはほとんど情報がありませんでしたが、次の証しは最近明らかにされたものです。その中のニーの言葉は労働改造所にあって、心臓の病によるまさに死の直前のものです。彼は多くの難しい聖書の真理をとても分かり易く解き明かしておりますが、この彼の単純な最後の言葉にこそ、が今なお、イエスに注がれたナルドの香油のように、その高貴な香を放つのです。

なお、ウォッチマン・ニーの前半生については、彼の伝記 The Story of Watchman Nee-Against the Tide, Angus Kinnear, CLC,1978に詳しい。また次の興味深い論考も参照されたい(→Watchman Nee and the House Church Movement in China)。ニーによる黙想集はこちらをどうぞ



【苦難の中の勝利−ニー婦人の孫娘による証し

祖父ウォッチマン・ニーが1952年に香港に行った時、多くの人々は中国に戻らないようにと勧めた。しかし、彼は中国に帰り、兄弟たちと苦しみを共にするようにという、神からの招命を受けた。彼は、神が彼のために定めた道についてはっきりとした次のような確信を持っていた。「私の最期は、高く揚げられることではなく殉教することです」

帰国後彼はすぐに捕らえられ、堤監橋の監獄に入れられた。1967年、彼の15年の刑期が満ちた時、政府は彼が公に信仰を放棄することを望んだが、彼は拒否した。主に対する忠実さの故に、彼は解放の希望を放棄し、さらに刑に服したのである。その拒否はさらに重い迫害を彼にもたらした。しかし彼は決して譲歩しなかった。(ウォッチマン・ニーは後に、上海から安寧省の労働改造所に送られた。)

1972年、強制収容所から、祖父が召されたという連絡があった。彼と苦しみを共にした収容所の友人の話によると、心臓の病が非常に重たくなり、トラクターに乗せられて40キロ離れた病院に連れて行かれた。その旅は荒れた山道を行くものであった。病院に行く途中で彼は主の元に召されたのである。死ぬ前に、彼は、枕の下に大きな震える文字の書かれた1枚の紙を残しておいた。彼は生涯を通じて保ち続けてきた真理について証しをしたかったのである。

「キリストは神の御子であられる。彼は人々の罪を贖うため死なれた。そして日後によみがえられた。これは、宇宙における最も大切な事実である。私は、キリストを信じながら、召されて行く−ウォッチマン・ニー」

・・・祖父の死後、まもなく、その友はクリスチャンになった。

■出典:クリスチャン新聞 1993/4/11号


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