Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2001.09.02


霊的リアリティの内に生きる

信仰の対象と時制


よく「ただ信じよ、信じれば、そのとおりになる」と言われますが、私たちは自分の"信仰"に信仰を置く危険があります。「私が信じれば、神はして下さる」ではなく、「神がそういう方だから、そうして下さる」のです。神は聖であるから、愛、義、柔和、平安、安息・・・などもろもろの属性に満ちています。ニューエイジでは「信じればそのとおりになる」と言いますが、彼らは<自分の観念→念じる→実現・実体化>の方向ですが、私たちはすでに神がなして下さったことを信じるのです。つまり<客観的事実→信仰→主観的経験>なのです。そこでその対象、つまり神とその業を客観的によくよく知ることが大切です。しかもそれはすでに私たちのものとなっているのです。つまり「すでに得たものを得た」と分かることが信仰であって、そのときそのとおりになります。

1.信仰の意味

  すでにあるリアリティを実体化すること(ヘブル11:1)


2.ニューエイジとクリスチャンの違い

   ・ニューエイジ:強く念じればそのとおりになる(観念が物質化する)

   ・クリスチャン:信じる者には何でも可能(マルコ9:23)、求めるものは何で

    もかなう(ヨハネ15:16)

   ・違い:ニューエイジは私たちの想念が形となる、クリスチャンはすでに存在す

    ることを信じるときに自分のものとする


3.信仰の対象と時制の問題点

   ・信仰の対象を、自分の信仰におく危険→絶えず自分を見つめる→不安

   ・信仰の対象は私の状態によらず不変

   ・時制は完了形→「得たものを、今得た」という確信


4.対象を知った分だけ信仰が育つ

   信仰とはその対象に対する応答→知識の必要性


5.神がどなたで、何をなして下さったか→客観的知識の必要性

   神:聖→愛、義、柔和、顧みる、いのち、平安→御霊の実(ガラテヤ5:22;単数
     形)


   わざ:罪の赦し、病の癒し、必要の満たし(詩篇103篇)


6.聖書は私たちに対する神の業の客観的目録

  →キリストにあって、実体化される(=自分のものとする)→神とその業の中にあ

   って安息すること→いのちの出現→互いのいのちの交わり