Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2002.12.01

聖書真理シリーズ


キリストの御霊H

神は旧約では預言者たちの口を通して部分部分に分け語りました。それはすべてイエスを指し示すものでした。やがてその本体であるキリストが受肉されました。神はもはや誰かの口を借りる必要はないのです。神の言葉自身が肉体となられたのです。よって旧約的な預言者は新約では不要です。神はすでに言葉を語っておられます。聖書はインスピレーションによりフィルムに感光した真理を思想としてネガにし、言語として焼き付けられたものです。神の息が吹き込まれています。この外なる御言葉に内にある神の言葉キリストが息を吹き込むとき、聖書は私にとって生きる言葉となります。そのためには私たちは知恵と啓示の霊が必要です。私たちの信仰が働く時、御霊は聖書の言葉によって私たちに個人的に直接語りかけて下さいます。これが新約における神の語り方であり、私たちが内側に実体化された主観的なキリストを語り出すことが新約の預言です。これはいのちのことばであり、互いをキリストにあって建て上げます。終わりの時代の今日「預言者」と称する人々が大勢います。これもイエスの予言のとおりです。イエスの証のない預言は偽りです。なぜなら神の御霊は現在イエスを証する霊だからです。「神の霊は下さった、主はこう言われる」式の「預言」には十分なる吟味と警戒が必要です。新訳ではまことの預言者、否、神の言葉そのものが私たち一人一人のうちにいまして、直接に語ってくださるのです。それを証しするとき私たちが預言者なのです。

1. 神の言葉の語り方

 旧約: 神は人の口を借りた→預言者=言葉を預かって語る者、イエスはまだ受肉してい

 なかったから(ヘブル1:1)、内容はイエスが中心(ルカ24:27、コロサイ2:17、ヘブル10:1)

 →ジグソーパズル(イザヤ34:16)

 新約: 神の言葉自身が肉体となった→旧約的な預言者は不要、神が直接語る(ヘブル1

 :2、8:11)、新約の預言は旧約の預言とは異なる→第一義的に個人の中で直接に語る(

1ヨハネ2:27)

2. 御霊と御言葉

 @ 書かれた御言葉は神の息吹きによる(2テモテ3:16)→客観的なキリスト

  例:電池とその中の電気

  内にいます御霊は主観的なキリストを実体化する(ヨハネ16:14,15)

  例:内側に電流が流れる→輝く

 A 外なる言葉と内なる言葉は決して矛盾しない→預言の吟味の必要性(ベレヤ人になる、

  使徒17:11)

 B 旧約時代:神の霊→インスピレーション→思想→言語化(写真で、露光→フィルム→

  焼付け)

 C 新約時代:御霊→光(啓示)+御言葉→霊的リアリティ(実体化)→思想→内なる言

  葉→外なる言葉(語り出された言葉)(エペソ1:17、詩篇119:130、ヘブル11:1、1コリン

  ト14:14、2:13、2コリント2:13)

<信仰+ロゴス=レーマ=霊=いのち>(ヨハネ6:63)

<信仰+客観的事実=主観的経験>(ヘブル4:2)

 D 新約の原則:死と復活の原則→すでに語られている言葉はそのままでは単なる白黒

  の文字→信仰と御霊が働く→言葉が生きる、私たちの霊的経験は原則的に聖書の中

  にある御霊(=キリスト)によるその度ごとの新たないのちの息吹きが必要

 E 今日大勢預言者が出ているが、きわめて要注意

  吟味の鍵:イエスの証は預言の霊(黙示録19:10)、預言者の霊は預言者に服する(1コ

  リント14:32)



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