Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2003.12.21


霊を訓練するC

―祈りの実行−

祈りとは神への依存の宣言であり、自分の無力の告白です。そのとき神との関係が実現します。また祈りとは私達が得た霊的ないのちの呼吸です。クリスチャンが祈りをなくしてその生をまっとうすることはできません。よって一切の形ではなく、実質が問題です。内なるいのちは霊的食物を必要とし、霊的呼吸を必要とします。御霊は内なるいのちを生かし、内なるいのちを育てるために、祈りを生み出します。否、霊は御霊とひとつになって祈りを生み出し、また絶えず霊的空気を吸い込み・吐き出します。こうして絶えず内側は新鮮にされるのです。時に意識的に主の名を呼び、また叫びなどして、霊的深呼吸をすることも必要です。このいのちの養いのための祈りは本質的な祈りと言えます。また祈りは私たちの必要や問題の解決、あるいは神のみ旨の成就のために必要です。神は人から離れたご自分で何かをなさるのではなく、私たちの意志と御自身の意思を混ぜ合わせることによって何かをなさいます。私たちは神の意志の執行のためにこの地上におかれています。こうして周囲の状況や自分のあり方を見たとき、祈りたくなる欲求を覚えます。これはもちろん御霊によります。私たちが主のうちに留まり、御言葉が私たちの内に留まるならば、何でも願うものをかなえていただけます。こうして歓びが満ち溢れ、神の国が到来していることが証しされ、地上において神の御国が確立するのです。祈りこそクリスチャン生活のダイナミクスの源泉です!

絶えず祈りなさい(1テサロニケ5:17)

1.祈りの二面性

@本質的な祈り=霊的呼吸(いのちのメタモルフォーシス)

A経綸的な祈り=何かの必要のため・神のご計画の進展のため


2.祈りの訓練

@祈りの種類:霊による祈りと知性による祈り(1コリント14:15)

A絶えず祈る→霊的呼吸として、霊的いのちを保ち、霊的代謝(メタモルフォーシス)のため(コロサイ4:2、1テサロニケ5:17)

B御名による祈り→「イエスの名によって」は形式ではなく、祈りの実質のあり方であり、イエスのパースンとひとつになること(ヨハネ15:7)

C御霊による祈り→御霊の油が塗りこまれた祈り、異言のみではない(ローマ8:26;エペソ6:18)

D霊と魂が分離すると、魂は何かに専念しても、霊は御座の前でつねに祈り、神に仕えることができる→祈りは神へのかぐわしい香り(黙示録5:8;8:3,4)


ピリピ4: 6,7 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。