Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.04.11


霊と魂の分離(1)

肉(flesh)はうちに住む罪(Sin)と神から独立した自己(Self)からなります。私たちの個々の罪々(sins)を犯させるのはこの罪(Sin)です。罪に対してはキリストの十字架でキリストと共に古い私が死ぬことにより、すでに処理済です。しかし神から独立した自己を処理することは現在の私の責任です。私たちには罪に自らの体をゆだねない責任があります。これは魂を霊から独立させないこと、特に思いを霊に服させることによります。同時に霊と魂が切り分けられる必要があります。今日、霊と魂が混同されています。教会の中でのすべての問題はこの混同によります。霊と魂が切り分けられるときには苦難が必要です。魂が苦しむとき、御霊による取り扱いを受け、魂のパワーは消滅します。このとき霊のパワーが代わって流れ込むようになるのです。霊と魂が分離されるとき、魂の苦悩がどのようなものであれ、霊は神の臨在にあってくつろぎ、内側に広いスペースが常に存在するようになります。ここでは自由に息ができ、解放され、安堵し、神の御臨在を享受することができるのです。このような内なる空間は、霊と魂が分離されることにより生じます。そして苦しむことから逃げようとしてはなりません。腹をくくることです。魂を救おうとすれば失うのです。むしろ救おうとしないことによって、私たちはまことの魂の大牧者によって、魂の救いを得るのです。覚悟を決めてください。

1. 肉(flesh)とは?

@肉の構成要素:うちに住む罪(Sin)と神から独立した自己(Self)(ローマ7:18)

ASinの処理:キリストの十字架により、古い私が死んだこと(ローマ6:6)→成就した事実(ガラテヤ5:24)

BSelfの処理:私の十字架により、神から独立する魂を否むこと(ルカ9:22,23;マルコ8:34-37)→私の責任(ガラテヤ5:16)


2. 魂か、霊か

@クリスチャンのすべての問題は霊と魂を混同するため→魂由来の何かを、魂のエネルギーで成し遂げようとする

A霊と魂が分離される必要性(ヘブル4:17)→英国KFMのメッセージ

B苦難の時には→詩篇77編の霊と魂の経験

C霊と魂が分離されること(詩篇4:1;「ゆとり」とある単語は「スペースを広げる」という意味)→まことの礼拝・まことの御臨在の享受・まことの新約の務め

D苦しむことを避けようとすれば、苦しみに追われる。有益な苦しみを経ること!

E十字架のパワーによって切り込みを受けること!