Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.04.03



いのちの務めS−内住のキリスト―

キリストはまことの犠牲の供え物であり、ご自分を裂き、ご自分を宥めの供え物として神に捧げ、ご自分の体を裂いて生ける道を開き、ご自分の血を携えて天の至聖所に入られました。今私たちは天の幕屋においてまことの大祭司を持っています。この方は私たちのために神の前に現われてくださり、とりなしをしてくださるのです。同時にキリストは私たちのうちにいてくださる方です。私たちの霊と天の至聖所は直結しており、私たちが霊の中に入るとき、そこにいますキリストとまみえることができます。外側を探すのではなく、内にいますキリストを求めるのです。キリストは私たちのあらゆる必要の満たしであり、キリストの内に神のあらゆる富が形をとって宿っており、キリストを得ることは神のすべてを得ることになります。内なる至聖所に入る鍵はキリストの血潮です。ただこの方の血潮によってのみ、私たちは臨在に入ることができます。逆に私たちの何かに一切頼らないこと、当てにしないことは幸いです。私たちの何かはつねにアップダウンしていますが、キリストの血潮は永遠に変わることがなく、その効力は常に有効です。私たちのあらゆる良心の汚れを去り、大胆に御座にタッチすることができます。時期を得た助けを受けるためにはばかることなく大胆に近づきましょう。




1.必要の満たしはキリストにある

@ Elohim (造り主)、A El Elyon (いと高き神)、B El Roi (ご覧になる神)
C El Shaddai (全能の神)、D Adonai (主)、E Jehovah (自ら存在なさるお方)、F Jehovah-jireh (備え主)、G Jehovah-rapha (癒し主)
H Jehovah-nissi (旗なる主)、I Jehovah-mekoddishkem (聖め主)
J Jehovah-shalom (平安なる主)、K Jehovah-sabaoth (万軍の主)
L Jehovah-raah (羊飼いなる主)、M Jehovah-tsidkenu (義なる主)
N Jehovah-shammah (そこにいらっしゃる主)



2.どこを探すのか

@キリストは天の至聖所にご自身の血によって入られた(ヘブル9:12)

Aキリストは私たちのために神の前に現れてくださる(ヘブル9:24)

Bキリストは天の御座に座している(エペソ1:20)

Cキリストは私たちの内にいます(2コリント13:5)

D私たちの霊と主の霊はひとつ(1コリント6:17)

E私たちの霊は至聖所(=神の臨在する場)

F内を探る時、自分自身を見ないこと→私のうちには何も良いものがない

G霊に戻り、霊にいますキリストにお会いすること→訓練が必要

Hうちにいますキリストにまみえる鍵はイエスの血(ヘブル10:19)


■暗証聖句:ヘブル9:12,14;ヘブル10:19

また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。・・・まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。・・・こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。