Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2006.09.17

知恵にあって生きる


主イエスは十字架の前に父の御旨に服するために葛藤の極みを経験されました。そして十字架につかれ、そこで人と神からの裁きを受けました。義なる方が不義なる者の裁きを受けたのです。しかし彼は赦しの祈りを父に捧げました。この言葉が私たちを救うのです。主は「成し遂げられた」と宣言され、霊を父に渡されました。この成し遂げられた事実は、私たちの死であり、主イエスが復活された時私たちも復活されたことです。キリストの経験はすべて私たちのものであり、私たちがキリストのうちに置かれた以上、キリストのすべては私のものとされています。キリストにあって神のすべてのみ旨は成就されたのです。鍵は私たちの思いの霊が新たにされ、事実を事実として認めること。まことの知恵であるキリストのうちにとどまること。まことの道であるキリストの中で歩むこと。そしていのちなるキリストに生きていただくことです。失敗したら何度でも十字架に戻りましょう。血があります。罪のない御子の血は私たちの不真実をも越えて余りある力を持っています。この血のみに頼り、キリストがなしてくださったことに心をおくのです。自分の心に頼ってはなりません。キリストにおかれている事実を知り、味わえば味あうほど、キリストの経験は私の経験となり、救いを究極まで堪能することができます。鍵は単純な信仰です。私たちはまだごく表面しか知りません。飢え渇きを増していただき、さらに前進しましょう。


<<週報&メッセージアウトライン>>
pdfファイル)


@聖書の二面性:心が現れたもの(ローマ1:2)と息が吹きかけられたもの(2テモテ3:16)

A神の御心は主イエスによって、主にあって、主イエスのために成就された→ご自身の満足のため(マタイ17:5;2コリント1:20)

B十字架の前の葛藤(ルカ22:42-44)と十字架の達成(ヨハネ19:30)→私たちの罪また私たち自身との完全なる同一化(2コリント5:21)
 ・古い私たちは死んだ(ローマ6:2)
 ・私たちは復活した(ローマ6:4-5)


C 私たちの責任:自分の心に依り頼まないで、知恵によって(あって)歩む(箴言28:18,26;1コリント1:24)

 ・事実を事実として認める(logizomai)こと(ローマ6:11;ヘブル10:10)→思い込みではなく、事実を事実とすること
 ・キリストにとどまること(ヨハネ15:4)
 ・キリストを着る(コロサイ3:10)
 ・思いの霊で新たにされる(エペソ4:23)→単なる知的な変化ではなく、霊が思いに相互作用した結果
 ・真理/知恵を経験する→救いを究極まで味わう



■暗証聖句

箴言28:26 自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。

ヨハネ19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

ローマ6:3-11 それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるためにバプテスマを受けたことを。わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

エペソ4:23-24 またあなたがたが思いの霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。