Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.02.04

神の国の奥義(3)


私たちはサタンの闇の王国に生きていましたからその世界での生き方が身に染み付いています。それは依然として古い体の一部である大脳の辺縁系に残っています。辺縁系には情動と記憶が蓄積されており、過去の経験が感情ともつれ合って存在します。そこに霊的色彩が染み付いています。これを霊感情観念複合体と呼びます。これが古い私たちの痕跡であり、霊的には新しい存在とされているにもかかわらず、様々な問題を抱え込む理由です。そこで神の国の実際を生きるには神の側の一方的な業=恵み=と私たちの側の責任=信仰=が調和する必要があります。もっと言えば、私たちができることとできないことを明確に識別することです。神は私たちを悪魔の支配から御子の支配の元に移してくださいました。神は私たちを神の子としてくださいました。これは私たちにはできないことですが、神はできます。私たちの責任は信じることです。私たちは新しい創造とされました。これは神の業です。私たちはただ信じることです。聖書に啓示されている「私たち」は現実の私たちからすると夢物語としか見えません。あまりにもギャップが大きいのです。しかしこのギャップを埋めるのは神の恵みと私たちの信仰です。信仰は私たちを天にタッチさせます。すると恵みが天から下り、私たちを真理にそった私たちへと変えます。キングダムライフはこの信仰と恵みの往復の繰り返しです。この双方向の流れが太く、豊かになるのが私たちの霊的成長です。そして富む者はますます富むのです!


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=神の国での私たち@=


1.神の国に生きる条件
 @ 自分は誰かを知る(1コリント15:10)、A神はどなたかを知る(1コリント15:34)、B敵は何者かを知る(ヨハネ8:44)


2. 私たちは誰か(Who We Are)を知り経験するための鍵
 @ 神の側の業と私の責任を理解する→恵み(コロサイ1:13;1コリント15:10)と信仰(ヘブル11:1);私たちができることとできないことの識別
 A 古い私たちの痕跡と新しい私たちを理解する
 B 客観的真理と主権的経験のギャップを理解する
 C 存在と行いを区別する(1コリント15:10)


3. 新しい私たちの真理
 @ ガラテヤ6:15;2コリント5:17 私たちは新しい創造
 A マタイ5:13 あなたがたは、地の塩です。
 B マタイ5:14 あなたがたは、世界の光です。
 C ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々  
  には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
 D ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
 E ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたが
  たを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、 
  そのあなたがたの実が残るため



【暗証聖句】
1コリント15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。