Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.08.05

誰に頼るか


エレミヤ書ではイスラエルが呪われた理由を、いのちの泉の源である主から離れたことであると明示しています。彼らは肉に過ぎないものに頼り、まことのいのちの源である主に頼ることをしませんでした。これは今日的に私たちにあっても同じ罠に陥る危険性があるのです。目に見えるものに自分の存在基盤を置き、目に見えるものに従っていくこと。すでに現実に起きております。諸々の器(牧師・伝道師)信仰、教え信仰、ムーヴメント信仰などなど。私たちがこれらのものに頼るのであれば、いのちが乾いてしまいますが、まことのいのちの源なる主に頼るとき、私たちはつねに青々とし、いのちの泉の脇に植えられて、みずみずしくいることができます。そして喜ぶことができます。が、サタンはそのような私たちを嫉妬しします。絶えずいろいろな方法で私たちに干渉してくることでしょう。このとき、主が用意された武具を持ち、自ら立ち向かう必要があります。救いの望みの兜、義の胸当て、真理の帯、平安の靴、信仰の盾、そして御言葉の剣です。これは主に頼りつつ、自らなす必要があるのです。人に頼る受動的な姿勢から、自分が神の祭司であり、神の預言者であり、キリストと共に支配する存在であることを認識つつ、自ら立ってください。そして心を見張ることです。新しい心も古い大脳の影響を受けるのですが、つねに新しい心と新しい霊を息吹いていただく必要があるのです。いのちは心から湧き上がるからです。


<<週報メッセージアウトライン>>
pdfファイル)



御言葉:エレミヤ17:5−13


■暗証聖句

17:7 祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。

17:8 彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り/暑さが襲うのを見ることなく/その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく/実を結ぶことをやめない。