Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.09.23

神の国の奥義(25)


ユダヤ人はイエスの真のアイデンティティを見ることができませんでした。彼らにとっては単なるナザレの大工のせがれだったのです。しかしこの方の中にいのちがありました。このいのちは天のパンであり、これを食べる者は永遠に生きるのです。そのパンを下さる方は父を見た者、父から遣わされた者、そしてパンを食べる条件は、信じることでした。信じる者はいのちを味わうことができるのです。旧約のモーセのパンは、まことのイエスのパンの型(タイプ)でした。それは人々の物理的必要を満たしましたが、霊的必要を満たすことはできなかったのです。旧約のシステムはレビ系の祭司制度であり、それは人々を断罪し、死をもたらす務めだったのです。が、新約の祭司制度はいのちの力によって大祭司とされたメルキゼデク系の制度であり、人々を義とし、いのちをもたらす務めでした。ユダヤ人には肉の誇りによって、このまことの大祭司なる方を知ることができなかったのです。かくしていのちをミスしました。しかも弟子たちさえも、イエスのメッセージを受けるや、イエスから離れ去って行ったのです。彼らは自分の腹にのみ関心を持っていたからです。今日でも同じです。宗教に堕しているキリスト教の中では、ある種のメッセージは歓迎されるでしょうが、それは幸福の科学でも説いているようなものです。いのちを外したらたとえ聖書を使っていたとしても、単なるご利益宗教と堕します。イエスの言葉は霊であり、いのちなのです。いのちを与えれるのは霊であり、肉は何の役にも立たないのです。このいのちによって生きることをますます知りましょう。


<<週報メッセージアウトライン>>
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人となられた神I



■御言葉:ヨハネ6:41−71

@ユダヤ人の目:肉の目-物質的な要素しか見えない;イエスの目:霊の目-父といのちを見ている(6:42;52)
Aイエスを知る条件:父が引き寄せてくださること(6:44)
B神から教えられること(6:45)→人が教える必要はない(イザヤ54:13;エレミヤ31:34)
Cいのちを与える者の条件:父を見ること;父の元から来ること(6:46)
Dいのちを得る条件:信じること(6:47)
Eモーセのパン:死をもたらした;イエスのパン:いのちをもたらす(6:49,50-51;2コリント3:6)
Fまことのパンの力(53-58節)
Gイエスの言葉(レーマ)は霊でありいのちである(6:63)→ユダヤ人には見えなかった(60節)
Hイエスのメッセージの結果:多くの弟子たちが離れる!(66節)



■暗証聖句

6:47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

6:48 わたしは命のパンである。

6:63 命を与えるのは""である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。

2コリント3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。