Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.12.07


流れるままに(15)

主は二人または三人がわたしの名の中に集まる時、わたしも共にいると約束されました。では私たちは二人または三人集会運動を進めるのでしょうか。ノーです。私たちは形や和に注意を置くのではなく、真の礼拝をしたいのです。今、父はエルサレムでもなく、あそこやここでもなく、ただ霊にあって、真理と霊による礼拝者を求めています。そのためには私たちの曲がりくねったデコボコの魂が真っ直ぐに平らに均される必要があります。そして自分の冠を下ろすならば、霊が開かれ、御座と直結し、霊のいのちが流れ込み、真の礼拝が開かれます。自己を放下することを前回交わりましたが、礼拝は究極的に自己を離れること、自己を放下すること、これがすべての鍵です。この縦方向が確立する時、私たちの地上の交わりも油塗られ、祝福されます。この時、たとえ二人または三人であっても、主の臨在が豊に恵みと祝福をもたらす約束なのです。真の礼拝を知らないままで二人または三人が集まっても、それは問題を語り合い、慰め合うだけの魂の交わりとなり、いのちは流れません。縦方向があっての横の交わりです。主はぶどうの木をネットワークのように張り巡らしたいのです。高く伸びるのではなく、横へと広がるのです。これはムーヴメントではありません、いのちの自然な広がりです。これまで私たちの間にはあまり実が結んでいないかも知れません。しかし主は「倉には、まだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブはまだ実を結んでいない。しかし、今日この日から、わたしは祝福を与える」と言われます! 


<<週報メッセージアウトライン>>
pdfファイル)


=私たちの礼拝と交わり=

聖書:ヨハネ1:23;ルカ3:5;ヨハネ4:21;使徒2:41;1ヨハネ1:3;黙示録4:10

@魂の問題:エネルギーのカセクトによる緊張・不安・焦りなど=自己のコントロールが効かないことへの反応→認知の歪み→諸々の感情的・行動上の反応

A魂(思い・意志・感情)の取り扱いの必要性(ヨハネ2:23;ルカ3:5)

B真の礼拝=自己を離れること・自己を放下すること(黙示録4:10)

C交わりの方向:縦(1ヨハネ1:3)と横(マタイ18:19,20)→二人または三人集会ムーヴメントではない!(cf.使徒2:41)

D点から線の成長によるネットへ(ハガイ2:19;マラキ3:11)

●暗証聖句●

倉には、まだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブは/まだ実を結んでいない。しかし、今日この日から、わたしは祝福を与える。

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。

二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」