Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2010.01.24

神の利己主義

今年は神の満足、幸福を求めることがスローガンです。どうしたら神に満足し、幸福になっていただけるのでしょう。伝道、奉仕、献金、断食などなどによるのでしょうか。違います。誤解を恐れずに言えば、神は究極的な利己主義者です。すなわちすべてをご自分の意志に従って、ご自分の計画のままに、ご自分の力で、ご自分の方法で成就されたいのです。では私たちは何のために存在するのでしょう。それは私たちの不実によって神の真実を証しし、私たちの無能力によって神の能力を証明し、私たちの愚かさによって神の知恵を証しすることです。すなわちすべてはキリストに始まり、キリストにあって達成され、キリストに栄光が帰されるためです。これが神の利己主義です。神は私たちの小賢しい何かを必要とされません。私たちの何らかの要素はむしろ神のご計画を阻害するのです。ただキリストの中で成し遂げられることのみが、神を満足させ、神を幸福にするのです。では私たちの責任は何でしょうか。英語ではresponsibility。すなわち応答性です。神の御声、神の意志、神の方法、神の能力に、アーメンと応答すること。これを神は求めておられます。この信仰の瞬間は自分はnothing、神はAll thing。私は衰え、キリストだけが栄えること。神はこのキリストの誉れによって満足し、幸福感を覚えられるのです。十字架はこのことを達成する場、また手段です。出張る私が処理され、無力にされるほどに、神の全能の御手が働くのです。私たちはこの神の利己主義にアーメンし、ただキリストのうちに生きることを願うのみです。


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御言葉:イザヤ55:9;詩篇18:17−20;ヨハネ3:30;マルコ10:27


 @人の実存=不条理:自分の意志や力によらず生まれ、死ぬ(マタイ5:36)→自分の意志の領域の外
 
 A神の御旨:天地の造られる以前からキリストにあって定まる(エペソ1:4)→神の意志が働いていた(神の意志の領域の内、イザヤ55:9)
 
 B私たちの窮地=神の御手の機会→自分がNothingとされ、神がEverything Allとされる時(詩篇18:17-20;ヨハネ3:30)
 
 C神の利己主義=すべてを独占されたい→神ご自身の真実を証しされるため(ローマ3:4,7)
 
 D人にはできなくとも、神はできる!→責任(=応答性)