Kingdom Fellowship Church


Message Outlines

2010.12.05

生きている者

主は善と悪、祝福とのろい、聖と汚れ、いのちと死というように、二者の間にはっきりと
 した線引きをしました。そして御言葉を善悪二元論で捉えると、それを守らねば悪とな
 り、聖書は行動規範を示す書や道徳の書となってしまいます。例えば民数記の死体に関す る規定では、それに触れた者は汚れ、断ち切られるとあります。これを善悪の側面かららえると何があっても死体から離れなければならなくなり、ルカ10章の善き隣人のたとえに登場する祭司やレビ人のように、半殺しにあった人が倒れていてもできるだけ離れて通り過ぎることを良しとしてしまいます。この善となるための行為には喜びがなく、人間らしさもありません。また総ての律法を守れるわけではなく、自己正当化が必要となります。しかし、この死体に関する規定をいのちの側面からとらえると、死体に触れ汚れている者は三日目と七日目のきよめ、すなわち三日目のイエスキリストの十字架、七日目の主の再臨による完全な贖いによって聖とされることに気づきます。すなわち死体に関する規定は、イエスの十字架と再臨による贖いを示しており、既にイエスの十字架を経験しているキリスト者は生きている者達であると知り、希望が与えられ、喜びが満ちるのです。 終末にあって敵の狡猾な攻撃は激しくなるでしょう。死体に触らせようと様々な偽りを準備するでしょう。そのとき、善悪の側面から御言葉を捉えると主を恐れ、主がはっきりとひかれた線引きをあやふやにし、自己正当化することとなります。そこには罪から逃れることを模索するだけで喜びはなく、死んだ者の信仰となるでしょう。イエスのいのちの側面から御言葉を味わい、主との交わりを大いに楽しむ生きている者となりましょう。このことが偽りで満ちる終末ではますます重要となります。 
           


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                                                =生きている者=

1. 死体に関する規定 民数記19:11-13


1.1 善悪路線といのちの路線では、御言葉の取り方が異なってくる。

    善き隣人のたとえ ルカ10:30-35

    善となるための行為には喜びがなく、人間らしさもない。また総ての律法を守れるわ

    けではなく、自己正当化が必要となる。⇒パリサイ人や祭司たちの特徴


1.2 死体に関する規定は、永遠の命にあずかる者についての規定

    ・  死体:霊的に死んでいる者。 ・

    ・  触れる:naga(Nawgah) 単に触れるというものではなく、サタンによる偽りや姦 ・

        淫にかかわるという意味が含まれる。 創世記3:3

    ・  汚れをきよめる水:聖霊 ヨハネ7:37-39 ・

    ・  三日目と七日目:イエスの十字架とイエスの再臨による完全な贖い。死体に触れ、 ・

        汚れていた私たちであっても、三日目と七日目でのきよめで完全に聖とされる。

          ⇒ 全ての人々への希望


2.生きていることを楽しむ。

     1  生きていないと神は働かれない。マタイ22:32

     2  キリストと共に生きる ガラテヤ5:25 、ローマ8:13

     3  生きている者達と交わる。ヨハネの黙示録3:1、イザヤ8:19

     4  死体に触れていたと気づいたら悔い改め。ルカ15:21〜24

  三日目のきよめ、すなわち十字架に戻る。三日目のきよめがないと七日目のきよめにあ

  ずかれない。


3. 結論 詩篇22:25-27

    大会衆の中での私の賛美はあなたから出たものです。私は主を恐れる人々の前で私の

    誓いを果たします。

    悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。あなた

    がたの心が、いつまでも生きるように。

    地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、

    あなたの御前で伏し拝みましょう。