ハードコア・プロファイルズ

−人間の実存的状況の病理と処方−




第2回

ヒューマン・マトリックス



霊的歩みの三段階

クリスチャンの歩みは、神に頼って真理の内で恵まれるか、自己努力によって偽りの内でもがくかの二者択一です。すなわち御霊によるか、肉によるかであり(ローマ八・13、ガラテヤ五・16)、前者はいのちと平安を生み、後者は死と不安を生じます(ローマ八・6)。

ガラテヤ書五章十九−二十一節では肉の様々な働きをリストしています。このうちの<不品行、汚れ、好色、酩酊、遊興>は肉体的必要に関わり、<敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ>は魂(精神)的必要に関わり、<偶像礼拝、魔術>は霊的必要に関わるものです。これらの肉の働きの裏には、何らかの満たされていない必要があります。その源である各領域における欲求自体は罪ではありませんが、それを御霊に頼らずに自己の方法で満たそうとする営みが、これらの現象あるいは行為として現れてくるのです。

クリスチャンの霊的歩みの段階として、すでに『ダイレクト・カウンセリング』において次の三点を解説しました。すなわち、@信仰、A真理、B戦い、です。この三段階は別の表現をしますと、@安息(座)すること、A歩むこと、B立つこと、と言えます。Watchman Neeはその著 "Sit,Walk,Stand" において、キリストの奥義である教会を啓示するエペソ書は(三・4)、この三段階を示しており、@は一章一節から三章二十一節まで、Aは四章一節から六章九節まで、Bは六章十節から六章二十四節までに対応するとしています。これをさらに現代的に表現するならば、@アイデンティティ・レヴェル、Aトゥルース・レヴェル、Bコンフロンテーション・レヴェルと言えます。

@アイデンティティ・レヴェル(安息):クリスチャンの歩みにとって、まず信仰による深い安息に入り、かつそこにとどまることが本質的です。安息から逸脱するならば、クリスチャンはただちに霊的破船に陥ります。クリスチャンとして真に罪(sins)を赦され、御霊から誕生し(霊の再生)、神の子とされている完全なる保証を主観的に味わう段階です。いわゆる「救いの確信」を得ているかどうか、あるいは「キリストにある」ことに安息できるかどうかがポイントになります。

このレヴェルはキリストにあるアイデンティティの確立の段階と言えます。信仰と安息の関係については「信じた私たちは安息に入ることができる」(ヘブル四・3a)とあります。神が置いて下さったキリストにある私たちの地位と身分を経験することです。このレヴェルのキーワードは<座す>(エペソ二・6)です。

Aトゥルース・レヴェル(歩み):救いの確信を得てアイデンティティを確立した後、この地上の幕屋(肉体)にとどまる間に、神がキリストにあって成し遂げて下さった霊的リアリティ(真理)の中に、人生のあらゆる場面において生きる段階です。私たちの霊・魂・体のあらゆる領域の必要を神との交わりにおいて、信仰によって満たしていくことができるかどうかが問われます。これから自分で何かを獲得したり、達成したりするのではなく、すでに完成されている霊的リアリティ(真理)を、自分に対して適用することです。

このレヴェルはキリストにあって得た嗣業を自分のものとして経験する段階といえます。私たちはキリストにあってあらゆる必要をすでに満たされ、神の豊かな嗣業を得ています(ローマ八・17、第二ペテロ一・3)。イエスは「求めるものは何でもかなえてあげよう」という約束を下さっています(ヨハネ十五・7,16、第一ヨハネ三・22)。条件は「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」であり、これはまことのぶどうの木であるキリストとの交わりの中に生き続けることです(同十五・4)。このレヴェルのキーワードは<歩む>(エペソ四・1)です。

Bコンフロンテーション・レヴェル(対抗):霊が再生されて霊的領域に関わるようになると、私たちがキリストにあって得た勝利や嗣業を享受することを妨げようとする勢力の干渉を受けます。無防備でおりますと、客観的な救いを得ているにもかかわらず、主観的なレヴェルで葛藤に陥り、少なからぬ困難に陥ります。これらの霊的な敵を対処するには、神と人と霊的諸勢力の間のダイナミクスを理解し、キリストのうちにあって、神の武具を身につける必要があります。このレヴェルはキリストにあって得た地位にとどまり、キリストにあって得た嗣業を自ら真理に立って守るレヴェルであり、キーワードは<立つ>(エペソ六・11)です。



ヒューマン・マトリックス

以上の各レヴェルの詳細はすでにこれまでの三つの連載と新著『真理はあなたを自由にする−「ファクターX」の再発見』で噛み砕いて述べております。この霊的歩みの三段階のそれぞれにおいて、霊(良心・交わり・直覚)、魂(意志・感情・思い)、体の各領域におけるすべての必要を、御霊の導きに従って、真理に基づいて、キリストにあって満たすことができれば問題は生じません。恵みの内に祝福された人生を送ることができるでしょう。しかしクリスチャンであっても、それらの各必要を恵みによって充足し損なう場合に、一転して自己の努力(=肉)によって補償的に満たそうとする試みが開始され、それがあらゆるレヴェルでの葛藤や症状として現れてきます。

そこで例えば、@アイデンティティ・レヴェルにおいては、(a)どのような霊的、魂(精神的)的、肉体的な各必要があり、(b)それらを信仰によって満たし損ねたときの葛藤や症状、(c)さらにキリストにあってそれら満たす処方を整理します。他のAトゥルース・レヴェル、Bコンフロンテーション・レヴェルにおいても同様に整理し、横軸方向に@、A、Bを取り、縦軸方向に(a),(b),(c)を取りますと、一枚のクロス表が完成されます。

これは人間の実存的状況を理解するための聖書的な座標平面あるいは診断チャートであり、私はこれを「ヒューマン・マトリックス」、略して「ヒューマトリックス(HuMatrix)」と称しています(⇒PDF)。



ヒューマトリックスの手法と処方

これからの九回を三回づつにわけ、この三つのレヴェルでの典型的症例を、ヒューマトリックスに従って紹介します。最後の一回はまとめです。問題を解決する第一歩は、自分の真実を知ることでした。そこでこのマトリックスの上に適切に自分をマッピングできれば、問題の八割は解決します。

神の処方は、すでに成し遂げられた客観的事実(真理)を信仰によって適用するとき、それは主観的経験になることでした。<客観的真理+信仰=主観的経験>です。そして信仰はキリストの言葉(ロゴス)を聞くことから生まれ、そのときロゴスに信仰が混ぜ合わされてレーマとなり、それは霊としていのちを与えるのです。<ロゴス+信仰=レーマ=霊=いのち>です。

このマトリックスの上に自分のポジションを見出すならば、自分がどの領域の必要の満たしを必要とし、神によってどのようなお取り扱いを受ければよいのかを知ることができます。御霊のお取り扱いを得るならば、上の二つの<霊的いのちの方程式>が作用し出すのです。これは信仰によって触媒された御霊による霊的代謝過程(スピリチュアル・メタボリズム)と言えます。