霊的アイデンティティの確立M

−不易・流行−



●時代の風

中島みゆきの「時代」のとおり、この世は時々の風によって吹き回され、絶えず流されている。名画『ベン・ハー』においてメッサラはジュダに「時代のパワーに従え、今はローマだ。あれ(主)ではない」と宣言した。これはニッポン人も是とするところであり、人事の風を読み損ねると冷や飯食いとなる。ところがどうも教界においても時々の風が吹くようだ(エペソ四・14)。しかるに私は「初めから聞いたこと」に頑なに留まることを願う(第一ヨハネ二・24)。


●不変なる神の法則

神は創造の後、自然界の運行やいのちの誕生と成長を法則に委ねた。十七世紀、ニュートンは微積分学を発明して運動法則を発見した。メンデルも遺伝の確率法則を定式化した。後に生命の設計図がたった四つの塩基配列で暗号(コード)化されていることも分かった。

ところがパウロはすでに一世紀において霊と魂の法則を見出し、ローマ七章でクルシチャンを正確に診断する。その病理は対立する三つの法則(laws)−神の律法、思いの法則(原語)、罪と死の法則−のためであると説く。そして八章にて神がキリストにあって介入させたいのちの御霊の法則を見出し、彼は自由を得る。

ガラテヤ五章の肉と御霊の葛藤はローマ七章の葛藤と混同されるが、まったく性質を異にする。この機序は拙著で詳説しているが、真の自由を得る鍵は法則の働き方の理解とその適用である。しかもこの法則は不変の霊的リアリティであり、われわれはただ服するのみであり、この時真の霊的アイデンティティを確立し得る。


●不易・流行

人体の構造や生理もヒポクラテスの時代から変化していない。よって病理も同じである。変わるのは人間の知識である。霊的領域においても、神には移り変わりの陰などはないから、神が変化することもなければ、霊的真理が変わることもない。しかし神学は時々に流される。

しばしばウォッチマン・ニーを引用すると、Dr.ルークは古いとか、ニーの焼き直しに過ぎないとの評価をいただくが、真理は永遠に同一である。実際、医学部でセンセイたちが勝手に発明した解剖学や生理学を教えたら、患者さんはたまらない。


●福音の本質

昨今、聖書用語や人を不快にする言葉を避ける「あなたはオンリーワン的伝道」が流行していると聞く。しかし伝道の法則は二千年前も今日も変わりない。主イエスの公のミニストリーの第一声は「悔い改めよ、神の国は近づいた」であった。また「御霊が来るならば、罪と義と裁きについて世の誤りを正す」と言われた。これが伝道である。むしろ人のプライドに触れ、人の心を刺し貫くことが福音の第一歩である(使徒二・37)。

主は言われた、「終わりの時代にはヨナのしるししか与えられない」と。「ヨナのしるし」とは「死と復活」、すなわち私の言う「ファクターX」である。もし人を気持ち良くする「伝道」が時代の風であるならば、私はあえてプロフェティクな警鐘を鳴らしたい(ガラテヤ一・10)。伝道は決して私たちの何かによらない。委ねられた真理の御言葉を語る時、御霊ご自身が「罪と義と裁き」を証しする。私は不器用にコツコツと種を蒔き続けたい(第二テモテ四・2)。


●ウエルカム・トゥー・リバイバル

今般、コリン・アーカートは英国のリバイバルを預言した。いわく「キングダム・フェイスは地に落ちて死ぬことを宣言する、リバイバルにようこそ!」。私の霊は完全に共鳴した。ひるがえって、ニッポン・キリスト教の「リバイバルの風」はどこから吹いて、どこへ向かうのであろうか?

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