霊的アイデンティティの確立
[最終回]


−成熟へ−美しい霊的感受性の回復−
キリストにある幼子からキリストの身の丈へ−エペソ書

混迷は深まり

イラクでは大量破壊兵器も発見されず、9・11テロとの関係の証拠もなかったことも暴露され、ただ混迷を深め、米国型原理主義のカルト性が証明されている。これは私が四月にHPにて予想した展開である。本件については本紙でも指摘したように私は違和感を覚えている。これは論じる問題ではなく、いのちの感受性の問題である。なぜか。

イスラエル中心の聖書預言解釈システムからみたブッシュの正当性を論じる以前に、キリストの聖が傷つけられているからである。経綸的選びにある地的イスラエルを、本質的選びにあるいのちの有機体である教会(エクレシア)に持ち込むならば、繊細なキリストの御体は必ず損傷を受ける。両者は存在する平面を致命的に異にする。


騒がしい教界

イラク戦に限らず、今日クリスチャンの間において専門家を自認する先生方の間で論理的に正しい議論は山ほどある。しかし美的センスに触れる情緒的にシックリするものはあまり多くはない。自己の"正しさ"を主張するだけのある種の未成熟さと言うか、雑音と言うか、違和感を覚えるものが多い。神学論争、預言解釈論争、同性愛権利論争などなど、議論の応酬に次ぐ応酬。かくしてそこには因縁だけが残り、敵に取り入る隙を与える要塞が構築されていく。


美しい情緒

『学士会報』に数学者の藤原正彦氏が興味深い論考を書いていた。世の中に論理的に正しいものは山ほどあるが、その論理の出発点を再確認する必要があるという。数学は学問の女王と呼ばれ、一点の論理矛盾も許されない体系であるが、その出発点は、実は情緒である。『多変数解析関数論』で有名な世界的数学者岡潔氏は「数学は情緒である」と言っている。数学で論理体系の出発点は「公理」と呼ぶが、その選択に情緒(美的感覚)が必要になる。この選択を誤ると論理矛盾はなくても中味のない空疎な体系ができる。

藤原氏はこの混迷の現代において情緒に触れるもの、美的センスに触れる公理を選ぶ必要があると言われる。九十九%は論理であるが、一%は情緒である。そしてこの美しい情緒による一%が全体を決める。この一%の回復を藤原氏は訴えている。優れた理論体系はそれ自体がきわめて美しく、かつ単純である。私は高校時代に「」を"発見"して、自然界の基本定数がすべてここに集約されている美しさに深い感動を覚えた経験がある。


いのちの成熟へ

神の創造は美しい。神の聖の表現である(ローマ二・20)。クリスチャンはこの神の霊を宿している。神は預言の成就においても人間の愚かさや敵の策略すら大きな流れの中で用いることはあっても、御自身の聖に抵触することはあり得ない。よって神の業には御自身の聖が証しされるはずである。霊的大人は事の善悪を知的に論じるのではなく、内側の霊のいのちの感覚により見分ける(ヘブル五・14)。霊の人(原語)はすべてを判断する(第一コリント二・15)。そのためには成熟、すなわち内なるキリストのメタモルフォーシスにより(ガラテヤ四・19)、いのちの繊細な感受性を養う必要がある。

今日、私たちを支配するものは"正しい聖書解釈"や"論理的整合性のある神学"ではなく、一%の美しい霊的感受性であるべきだろう。それは思想や文化を超えてしっくり共有できるはずのものである。日本人は本来自然に対する感受性や人の心の機微に長けていた。日本の伝道の鍵はエリヤ的な対決のみでなく、エリシャ的な繊細なミニストリーによって、人々の心の琴線に触れることであろうと私は感じている。 Blessings!


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