霊的アイデンティティの確立A 





諸問題のルーツ―安息からの逸脱

人にとって自らのアイデンティティが危機に瀕することは、もっとも深刻な問題である。神から分離された人の生とは、自分という存在の担保(職業・地位・金など)を獲得することによる、揺るがないアイデンティティの確立の追求と言える。クリスチャンにとっても、真の霊的アイデンティティを確立し損なうと、神と人との関係において平安と安息を喪失する。ある種の牧師には"牧師先生"と呼ばれないと怒り出す御仁もおられるそうであるが、これは彼らの脆弱なアイデンティティのあり方と、キリストにある真の満足と平安の欠如を暴露している。この世でもキリスト教会でも、人のあらゆる問題は、安息からの逸脱によるものであり、それはアイデンティティが危機に瀕することから生じると言ってよい。これは個人レベルでも国家レベルでも同じである。


安息を失う原因―分裂した自我

自ら近代自我に目覚めることがなかった日本は、自閉症的鎖国の状態から半ば暴力的に開国させられた。開国すると一転して欧米の価値観を形式的に取り込み、富国強兵に邁進した。このように脅威を与える対象の要素を取り込み、相手と同じになろうとすることで自我の安定を図るメカニズムを取り込みによる同一視と言う。精神分析学者岸田秀氏によると、日本は知的で能力に富んだ美しい貴公子によってレイプされた女性のようであるという。即ち日本は意に反して開国させられ屈辱感を抱いている本来の自我(内的自我)と、自らをその加害者と同一視することによってトラウマを補償しようとする自我(外的自我)に分裂したのである。

そこで絶えず内的自我の屈辱感を外的な自我が抑圧しつつ、相手に対して八方美人的対応をせざるを得なくなった。即ち日本は"本音"と"建前"の乖離の上にアイデンティティを確立することを余儀なくされた。ここに日本独特の"取り繕い"の原因がある。この抑圧された内的エネルギーは自我の安定性に脅威となる。外的自我は絶えずそのエネルギーの噴出を抑えなくてはならず、それはかなりの消耗を意味する。抑えきれずに時々に噴出したそのエネルギーが屈折して韓国や中国に向かい、欧米と日本の屈辱的関係を日本と彼らの関係に平行移動的に投影してそのエネルギーの解消を図った。これが戦争中の様々な悲劇を引き起こしたのである。

この自己欺瞞によって欧米と日本の間では同じ行動パタンが繰り返されている。これを専門的には"強迫反復"という。ちなみにキリスト教会においてもアイデンティティの脆弱性に基づく同様の精神病理によって、いわゆる教職信徒間、あるいは教団教派間の葛藤が繰り返されている。


天皇制問題の本質―自我の拠り処

今回の天皇制問題も第一義的にはこのような精神病理に起因している。すなわち自我の分裂状態にある者は、自己をありのままに受容することができず、自然な自尊心を持てないために絶えず"取り繕い"に明け暮れる。日本も同様の病理によって、愛国心とか国家への忠誠心の自然な発露が阻害されている。そこで確固としたアイデンティティの欠如による自我の崩壊を回避するために、何らかの拠り処を人工的に設定する必要がある。これがかつての国家神道であり、現人神天皇であった。それは統治者側も被統治者側も分裂した自我という同じ精神病理を抱え、互いの脆弱なアイデンティティを補償するための自己防衛機制であり、カルトの教祖と信者の間で成立する霊的共鳴と同種の病理である。この意味で日本は国家的カルトであったと言える。

戦後、再び米国によってその価値観を暴力的に壊されると、一転して米国流の民主主義・市場原理を取り込み、物質主義一辺倒で会社や経済を偶像としてそれらに頼りつつ、いわば礼拝(カルト)して来た。それらが国家神道と置換されただけであり、開国の時と同じパタンである。しかし昨今再びそれらの"偶像"の崩壊によって頼るべき対象を喪失しつつある中で、何らかの精神的縁を求めて、これまでの物質主義への反動として、直接的に霊的偶像礼拝の領域に入り込もうとしているのである。真の霊的知識がなく、真の神を知らないがための宿命と言える。


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