神にみちびかれて

仲尾 強 (Tsuyoshi Nakao)


■氏は某大手一流鉄鋼会社にて若くして課長に昇進、幹部候補としてエリートコースにありましたが、本文にあるとおり自主退職後、現在英国ブラッドフォードの大学に留学後、現在外資系企業勤務。現在の組織の奴隷となっている多くのビジネスマン/ウーマンに対するアンチテーゼを提示する生き方をされている方です。



1. 人生最大の決断

私は1960年に福岡で生まれ、大学院を卒業後、大手鉄鋼メーカーの環境プラント設計部で、主に清掃工場向けの公害防止対策設備の設計開発研究業務に携わった。会社では責任ある仕事も任され、また将来の環境技術を担ってもらうということで、イリノイ大学環境工学科の大学院修士課程へも留学させてもらった。将来は保証されており、安泰だと心のどこかで思っていた。ところが日本経済はバブル崩壊の後遺症から立ち直れず、会社は生き残りをかけてリストラを断行していた。

ある日、このまま50になったときどうなっているのかを考えた。がんばれば部長にはなれると思ったが、その後の保証はない。もしかしたら50歳前で出向し、その後出向先から早期退職と言うことも十分にありえる。それよりオールドエコノミーの代表でもある鉄鋼メーカーが存在しているかどうかもわからない。一方家庭を返り見ると、クリスチャンである妻や子供たちとの間には目に見えないカーテンのような物がかかっている。会社の忙しさのせいにして、家庭をなおざりにしていたせいでもある。このまま50を迎えたとき、会社にも見捨てられ、家庭にも見捨てられるような気がした。それなら40前で人生を出直そうと思った。

ある日妻に退職することを話した。妻は全く動じなかった。私は辞表を提出するまでの約半年間、悩んでまともに眠った日は無かったのに、妻はそういうところが全く無く、クリスチャンは大した者だと思った。後から妻に聞いたところ、今は動くときだと、神の啓示を頂いていたそうだ。


2.イエスに導かれて

2000年1月1日付けで退職し、約半年間環境NGOでボランティアをした。将来の仕事に少しでも役立てたいと思ったからだ。英訳や、海外のお客様がみえたときのアテンド等の仕事をした。

私自身は、もしもクリスチャンになるのならば、定年後ゆっくり考えてからでいいと思っていた。しかし私以外の家族は皆イエスキリストの教えに忠実に生活しているので、クリスチャンを理解しておく必要があると考え、毎週日曜礼拝に出席し、クリスチャンライフクラスにも出席した。

聖書は普通の本とは全く異なっていた。理解できないことがあまりにも多いのである。特に基本的な教義は全く理解できなかった。何故イエスの十字架が自分の罪を購うことになるのか。自分の意志と神の意志との関係は。人が救われるかどうかは、神がはるか昔に決めたことなのか。さまざまな疑問が頭に浮かび、これは変な宗教だと思った。参考書を10冊以上読んだ。しかし私を納得させる本はなく、これではクリスチャンになれないと感じた。

しかし奇妙なことが起こり出した。3月の下旬ごろだと思うが、私が1人で留守番していたとき不思議なことが起きた。久しぶりに1人なので、ついソファーで寝てしまった。ある時人がボーと現れ、「起きなさい、あなたの妻が帰ってきます。」とささやく夢を見た。ふっと起きて変な夢だなと思っていると、玄関でピンポーンと鳴り、家族が帰ってきた。ちょっと薄気味悪さを感じたが、頭のどこかで、家族がそろそろ帰る頃だと思っていたのかもしれないと気にせずにいた。

数週間後また不思議なことが起きた。深夜1時ごろ、夢の中で人がボーと現れ、「起きなさい、ドアの鍵をかけ忘れています。」と言う夢を見た。前のことがあったのですぐに起き上がり、玄関を見ると鍵をかけ忘れていた。気にしないようつとめたが、何か薄気味悪さを感じた。

5月中旬に3ヶ月の猶予期間後、ようやく失業手当が入ることになった(自主退職の場合、手続きから3ヶ月は失業手当がもらえない)。お金が振り込まれていることを確認するため、銀行に行った。退職し、収入がない我が家にとって失業保険は大切な生活費である。しかし何かいやな予感がした。前日妻と聖書のことで議論となり、神に対し散々悪態をついてしまったのだ。まさかばちが当たることはないよなと自分に言い聞かせつつ、しかし前に起きた夢の件か頭をよぎった。おそるおそるATMから出てきた通帳を見ると目が点になった。なんと半月分しか入金されてない。やっぱりと思った。神様ごめんなさいと心の中で叫んだ。

帰宅して、職安からもらった説明書を読んだが何も書いていない。もしやと思い手続きを済ませた日と入金手続きの日から3ヶ月の猶予期間を差し引いた日数を計算すると15日であった。つまり1ヶ月の半額で間違いないのである。しかし私は事前の説明で聞いた覚えはなく(説明はあったが、私が聞き漏らしたのかもしれない)、最初から1ヶ月分入金されると思っていた。通常なら自分の勘違いなのでしょうがないとすぐに忘れるのだが、今回だけは神を畏れた。

神の恵みはまだ続いた。5月下旬から6月上旬にかけて妻と英国へ行く事を考えていた。良い転職先がない場合(多分ないと思っていたが)、環境マネージメントを勉強するため英国の大学院へ留学することを決めていたからだ。その場合、家族で行くか単身にするかということで決着がついていなかった。現地を見てから決めようと考えていた。失業中なので値段が安いチケットを購入せねばならない。幸運にも、ある航空会社がキャンペーン中で、通常の格安チケットよりさらに数万安いチケットを発売していた。横浜にある旅行代理店に聞くと、空席は十分あると言うことだった。格安チケットのため1週間前迄にチケットを購入せねばならず、日程の変更は出来ない。英国の大学の先生の都合もあるので日程をぎりぎりまで決定せず、チケットの予約も入れてなかった。

出発10日前に空席が気になり、横浜にある旅行代理店に出向いて確認したところ、空席は十分にありますということだった。帰宅して、妻と最終の確認を取ってからチケットの購入をしようと考えた。帰宅すると妻の通っている教会のパスターの奥さんから電話があり、安い旅行代理店を知っているから、聞いてみると言うことだった。これから電話で確認し、すぐに結果を知らせるとの事だったが、なかなか電話がない。少し気になった私は、横浜にある旅行代理店に確認したところ、急に席が埋まりだし、あと4席しか残ってないとの事であった。あせった私はパスターの奥さんに電話したが、留守であった。しかたがないので、奥さんの話していた旅行代理店を電話帳で調べ、電話したところ安いチケットは無いとのことであった。そこですぐに横浜にある旅行代理店にチケット購入の電話をしたが、既に満席になっていた。愕然とした。午前中に代理店を訪れ、空席を確認したら十分にあったのに、午後になったら満席になったのである。

数万円高くなるが、現地を見に行くかどうか妻と話し合った。その時妻が突然単身で留学しなさいと強く主張した。妻はこの時単身で留学すべきだと確信したそうだ。それでは単身で留学することにするが、それでも英国を見ておく必要があるかどうか話し合った。その結果、子供たちに私のことを説明するためにも行く必要があるという結論に達した。そこで数万円高くなるが、2人で現地を見に行くことにした。念のため、満席となったベルギー航空に空席待ちを入れてもらい、1週間前になっても満席の場合、高いチケットを購入することとした。代理店の人からは、キャンペーンのチケットであること、あと3日しかないことから、高いチケットとなる可能性が高いと言われた。ところが次の日空席が2席空いたとの連絡が入った。そして当初の計画通り、格安のチケットで渡英できた。この2日間のできごとは、迷っている私たちに神様が決断を促して下さったのだと感じた。


3.イエスの恵みによる救い

神の存在を感じずにおれない私は、帰国して6月についに救われた。神の恵みはまだ続いた。救われた晩のことである。寝床についても賛美歌が耳から離れず、頭の中で鐘の音ががんがん鳴り、一睡もできないのだ。胸は熱く、いったいどうしたのかと思った。教会の人たちは天国で祝福してくれているのだと語ってくれた。本当かどうかわからないが、不思議な一夜だった。そして救われた最初の日曜礼拝では、涙が止まらなかった。なぜ涙が出るのか不思議だった。クリスチャンになったからと言って、べつに感激しているつもりはなかったのだが、涙が止まらないのである。ただ心は晴れ晴れとしていた。

次は水の洗礼である。しかし、

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます(マルコ16:16)

が頭について離れない。今までの疑問、すなわち十字架の意味や神の意志などの疑問が晴れないと、水の洗礼は受けてはいけないと感じていた。心では信じるが頭では理解できないという不安定な状態だった。これでほんとうに信じていることになるのかと疑問をもった。聖書を何回も読み、参考書を貪るように読み、パスターに聞き、教会の方にも聞き、妻とかなり話し合ったが納得できなかった。渡英まで2ヶ月余りしかなく、もう理解するのは無理だと思った。ゆっくりと考え、帰国してから洗礼を受けても良いと思った。

洗礼を半ばあきらめた7月下旬、Dr.Lukeのホームページをみつけた。そのなかの聖書のキーワードを読んでいたとき、頭のなかで別々になっていた、原罪、自由意志、十字架、血の贖い、御霊という単語が一つに結ばれた。まるでジグソーパズルの最後の1ピースがはまるような感じだった。これで洗礼を受ける条件がそろったと感じた。そして渡英10日前に洗礼を受けた。


4.英国への出発

会社を辞めてからの半年は不思議な半年だったが、神の恵みに気づき、神の愛と慈しみを毎日感じ、とても幸せな日々だった。この半年がまるで10年のように感じる。そして、今主イエスキリストのことをもっと知りたいと感じている。そのためにさらに信仰を厚くしたいと思っている。なぜなら、

そこでイエスは言われた。あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです(ルカ8:10)

とあるように、弟子にならないと主イエスのことが分からないからである。

この原稿は英国のヨークシャにあるBradfordで書いている。Bradfordに来て2ヶ月ほど経つが神の恵みを受けつづけている。神の恵みには感謝せずに入られない。英国での勉強は、実際には非常に忙しく、とてもストレスがたまるものなのだが、毎日が楽しく過ごせている。「何がそんなに楽しいのか」と時々聞かれることもある。今までクリスチャンの生活は地味で質素なものだと思っていたが、実際は喜びに満ち、エキサイティングなものだとわかった。祈って、神のみ心を尋ねながら英国生活を送りたい。


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