地震から聖書を実証する

金 継宇  (地震学者)

■氏は台湾大学電機工程学科卒業、デューク[Duke]大学電機学科修士課程卒業、コーネル大学応用物理学博士号取得、カリフォルニア理工学院地震学博士後研究員、アメリカ国立地質調査局に就職、それ以降、34年間地震に関する研究に従事している。



聖書の中には科学について述べている箇所があります。それは科学にそっているというだけではなく、科学さえも超越えているといえます。

今年の9月21日に台湾で大地震が発生しました。それで、今日は私が地震という角度から、聖書は科学に合うということだけではなく、それが科学を越える存在であるという事を実証したいと思います。

まず始めに、聖書の著者達が聖書を書くにあたって示した態度を見ましょう。例えばルカによる福音書について考えてみましょう。ルカは聖書を記すにあたって示した態度は、現在私達が科学研究をしているものと全く同じです。ルカは次のように聖書で述べています。

テオピロ閣下よ、私達の間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ぬようと、多くの人が手を着けましたが。

だからルカが集めた証拠はすべて事実です。なぜならば、自ら身をもって経験した事だからです。

私もすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それの順序正しくかきつづって閣下に献じる事にしました。

これは、私達が研究において、論文を書く時と同じ態度です。ルカは医者である事が聖書からわかりますが、医者はその当時学者でした。

すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたい為であります(ルカによる福音書1:4)

ルカは、綿密に確実な証拠から事実を分析することによって、その分析に基づいて、事実を順序正しく書きつづけました。以上の事はとても重要と考えられます。なぜならば、上述の文から、ルカが沢山の奇跡を記している事が分かります。主イエス・キリストの誕生を始めとして、イエスの死及び復活について、科学の立場から見ると理解しがたい面がありますが、実はこれのことはすべて科学に超越した事なのです。

ここで、私は地震学を研究した私の立場から、聖書が多くの箇所において科学を超越している事を実証したいと思います。本来聖書は科学のために記されたのではありませんが、そこには科学に関して述べられている事が少なくありません。だから、聖書は科学に反するものであると言い切る事は出来ません。しかしながら、聖書のある箇所は科学よりも進んでいるということが出来ましょう。

なぜ地震が発生するのか皆さん御存知ですか? 地震は地殻変動によって起こります。“地震は地殻断層が突然ずれて移動する事によって起こります。”このことはいつから分かってきたのでしょうか?このことは、1906年にサンフランシスコに震度8の大地震が起こる事によって分かってきました。それまでは、地震を研究している学者達は何故地震が起こるかについて理由を説明する事が出来ませんでした。どうしてサンフランシスコの大地震が、地殻変動が起こったのでしょうか?

その場所には、カリフォルニア州にまで貫いている大きな断層があるからです。この断層を聖アンダレス断層といいます。地震が起こってからその存在が確かめられました。サンフランシスコの当りにあった長い断層の一つがずれて数百キロメートルにわたって移動したのです。結果として起こった錯距は最大約5メートルですが、これは地震の断層の錯距とはほぼ同じです。移動は水平方向に起こっていますから、地震による働きである可能性はあまりありません。その時リード教授は、地震が地殻変動によって、地殻そのものが重なり合う事によって起こる重圧からそれ自体が元に戻ろうとする動きから起こる地殻の震動と言う理論を提案しました。その提案後、ほとんどの地震から、その学説が正しいということを明らかにしました。

≪聖書・ゼカリヤ書≫(この箇所は紀元前4百年ぐらい前に書かれたものです。1906年から約2300年前の事です)14章4節:

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きいな谷が出きる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

この箇所は主イエスが再臨について説明しています、ゼカリア書14章1節には「主の日が来る」と記されています、「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。」もしイスラエルに行ったことある人ならば、オリーブ山がエルサレムの東側にあることに気づくでしょう。もう少し東に行くとつき当りにヨルダン河がある事に気づくでしょう。ヨルダン河もまたそれ自体一つの大きな断層の上にあるのです。「オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きいな谷が出きる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。」これも断層の移動なのです。つまり、サンフランシスコ大地震と同じように平移断層なのです。

次に、≪聖書・ゼカリア書≫ 14章5節:

山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、私の山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。

この箇所から、断層が移動すると必ず大地震が発生するという事が良く分かると思います。この節から、地震前後に起こった事が良く分かると思います。また、地震の原因も推し量る事が出きると思います。

では断層はなぜ移動するのでしょうか? これは皆さんがテレビで見た事があると思われる“板塊学説”から言う事が出来ます。地球の表面は一つの整体からできているのではなく、数多くの板塊が組合さることによって出来ています。板塊と板塊の間には界があります。これを、大きな断層と言うのです。板塊はそれぞれ移動しているのです。これ学説は1960年代に発見されました。これは地球科学の領域において一つの革命的な学説と言う事が出来ます。これは地震学、海洋学、地磁学に基づいて提案されました。

台湾は欧亜板塊とフィリピン海板塊との交接部分にあります。少し地震帯の上にあるために、地震が多 く起こる原因と成っているのです。板塊が常に動くために、非常に強い力が断層帯に累積することになったのです。断層の間には摩擦力があるために、普通静止状態になっています。しかし、一旦ある部分に摩擦力が限度能力を超えてしまったとき、この部分の断層は突然にずれて移動し動き出す事になります。また、錯動の大きさによって、地震の大きさも変わってきます。

≪聖書・イザヤ書≫(ゼカリア書より3百年前、約紀元前7百年)24章1節:

見よ。主は地を荒らすたらせ、その面をくつがえして、その住民を散らされる。

「その住民を散らされる。」が含蓄している意味は、住民達が自分達の意思から別れ離れになったのではなく、(勿論、自分達の意思によって行う事ができますが)、地面の変動によって別れ離れになってしまったのです。これは、つまり板塊学説を全体的に分かり易く解説していると思われます。

板塊がどうして移動するかというと、地球内部の動きによって起こった事です。この説も現在の地球物理学説と一致しています。地殻の下にある部分をマントル、もしくは、地函と言います。マントルは半分以上が固体成分から出来ています。液体物質としての性質も持っています。それはゆっくりと対流しています。その動きは、温水器中のお湯と同じように、水は上の方よりも下の方が熱いのと同時に、密度は下の方よりも上の方が高いです。ですから、内部で回転現象を起こすこととなるのです。地球の内部もまた同じ原理が適用します。つまり、液体部分が回転しているのです。岩漿は何処から噴出すのでしょうか?多分海から噴出していると考えられています。海の中には山があります。そこは、地球内部の物質が上昇する場所でもあります。新しい地殻はそこで生じ、元々存在した海洋地殻を周囲に押し続けるのです。その動きは絶えず続き、大陸の周辺にまで及ぶのです。

例えば、日本近辺は陸地に向いて俯衝しており、地の内に押し消されていくのです。また、マントルの中にある物質もそこで対流していると考えられています。地面を更新する事について聖書で次のように記されています。≪聖書・詩篇≫(イサヤ書よりもっと前のことです。)104篇30節につぎのように記されています。

あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新しくされます。

新しい地面が主に海の下にあるということですが、現在の学者達は皆知っていることです。つまり、海底地殻は大陸地殻よりも新しいという事を言っています。これはどうしてなのでしょうか?「大地を回転するからです」。また、ハワイでも常に地面が更新する事が分かります。出て来た岩漿は地面の上を覆っているのです。

地球の形について、以前、皆は地球が四角の形をしていると思われていました。中国の格言に「天円地方」がある事から分かります。約5百年前に、学者達は地球が球体である事を発見しました。しかしながら、聖書にはこの事を述べています。イサヤ書40章21,22節:

あなたがたは知らないのが。聞かないのが。始めから、告げられなかったのか地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民は蝗の様だ。主は天を薄絹の様に延べ、これを天幕の様に広げて住まわれる。

中国語版聖書には神が“地球”という大きい円の上に座っていたと記しています。百年前に聖書が翻訳された時には既に地が球体である事は知られていたので、地球と言う言葉が使われる事に成ったのです。原文には“地球”と言う言葉は“地圏”と記されています。“圏”の原文は“球”と同じ字ですから、この言葉は更に正しく翻訳するならば“神様は地の大球の上に座っていた”となるでしょう。この節には地は球体であることを述べているだけではなく、“空、穹蒼”はカーテン、テントと同様に用いていました。現在衛星写真から見てみると、この表現が適している事がわかります。なぜならば、皆が見ていた空は実際に“大気圏”であり、それは地球に対照しており、薄いカーテンの様に紫外線や隕石傷害から人間を保護していたのです。住むことが出きるテントのようなものです。

同時に、ここで“地の根基”という問題をあげましょう。私達が知っている様にすべてのものは根基が必要です。机の基は家の床であり、家の基は大地なのです。現在テレビでよく数多くの建築物崩壊や、建物の構造の破損、地基の崩壊、家の斜頃が映し出されています。でも地球の根基は何処にあるのでしょうか?

≪聖書・ヨブ記≫を見てみましょう。(だいたいモーセ五経と同じ位古いもので、約紀元前千4百年ぐらい、今から3千年前の事です。)26章7節:

神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。

その当時の人々は不思議なことだと思っていたことでしょう。“萬有引力定律”発見されたから大分経った後に、人々はやっと「神様が大地を空中に浮かばせている」ということが可能であると分かってきたのです。地球は太陽に軸芯して廻り続け、太陽と地球の間には吸引力及び向心力が存在しているのです。また、離心力も存在しています。向心力と離心力が均衡状態にあるとき、動的な平衡を生まれます。このことによって、地球は空中に落ちないように浮くことができるのです。聖書は科学より三千年 から存在しました。聖書に記されたさまざまな例から、聖書には人間には計り知れない知恵があるということを示しています。人間には記す事が出来ないという事が分かります。

≪聖書・テモテへの手紙第二≫ 3章16節:

聖書はすべて、神の霊感によるものです、

にその事が推測できます。神が聖書を人々に書き与えた理由は、主イエス・キリストを実証する事にあります。主は普通の人間ではありません。主は、神が、人の姿となって、人を罪から救い出し、死を免れて、永遠の命を得る為に人の世に生まれたのです。


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