敗戦54年目の岐路に立って


長津田キリスト教会牧師

油井 義昭


■本稿は1999年8月8日クリスチャン新聞掲載予定記事の原稿です。



1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏した。日清戦争から敗戦までのおよそ50年間、日本は侵略主義による対外戦争を繰り広げていった。日本政府が天皇制を基盤として軍国主義・国家主義を強調するにつれて、日本の教会も軍事政策に協力せざるを得なくなり、天皇に忠誠を尽くして国を愛するように(忠君愛国)と教え、神社参拝を呼びかけ、戦争協力を奨励したのである。

日本は1951年の講和後、逆コースの道を歩み始めた。特に過去30年の歴史の中にその足跡を見ることができる。1969年は靖国神社国営化法案が提出され、国会で与野党の論戦が繰り広げられた年であり、法案は1974年に廃案になった。しかし、1979年には元号法案が提出され、与党の力で国会を通過させ、公布・施行された。年号が引き続き天皇の支配下に置かれることになった。1985年の8月、中曽根首相は靖国神社公式参拝を強行して中国政府から非難された。1989年1月に昭和天皇が死去した。1990年に現天皇の即位式とともに大嘗祭が行われた。

そして1999年は、日本政府が敗戦時に失った多くのものを再獲得した年と言ってよいのではなかろうか。まさに戦後政治の総決算の年である。5月24日の新ガイドライン関連法案の参議院通過・成立に引き続き、7月22日「日の丸・君が代」を「国歌・国旗」と定める「国旗および国歌に関する法律案」が衆議院を通過した。法制化に成功すれば、日本は再び偏狭な道を進む予感を覚えずにはいられない。日本は明確にナショナリズムの道を歩み出したといっても良いのではないか。

政府は「君が代」の「君」とは「日本及び日本国民統合の象徴である天皇」とし、国民を「皇国臣民」として、アジアへの侵略戦争に動員した戦前の体制に戻ろうとしている。政府はまた、法案から義務規定を削除したが、公立学校では日の丸掲揚・君が代斉唱を事実上義務化し、1951年の講和から今日まで公立学校の日の丸・君が代に反対する教員を約千人処分してきた。法律ができれば、やがてそれは私立学校などに、場合によっては民間の団体にまでも及ぶことになろう。

今から丁度百年前のことに触れておきたい。1869年維新政府は神道を広く知らせる活動を開始した。1889年に大日本帝国憲法を発布し、1890年教育勅語を軸にした天皇制教育を公立学校で徹底させた。

1899年に政府は、教育におけるキリスト教や仏教の影響を排除することを目的として、文部省認可の私立学校においても、宗教教育と宗教儀式を行うことを禁止したのである(文部省訓令第12号)。そのためキリスト教系の学校では、中学校令や高等女学校令に基づく学校を存続させるためにキリスト教教育を断念するか、あるいは学校教育制度の枠外に出るか、という選択を迫られ、ある学校は政府に妥協して、キリスト教を捨てたが、明治学院や青山学院などは妥協せずに苦難の歴史を歩んだと言われる。21世紀を前に世界は20世紀の国家の罪の問題を誠実に謝罪・補償・和解をもって処理しているのに、日本政府だけは19世紀の偏狭な国家観に戻ろうとしている。

敗戦54年目の節目に当たって、過去の歴史を教訓として受け止め、そこから平和を築いていくための光をくみとるべきではなかろうか。日本の教会が国の良心となって、信仰の原点に立ち戻り、過去の歴史を振り返ることによって新たな平和な世界の実現に向かっての責任を自覚し、同胞に向かって危険を警告する預言者的使命を果たすことが求められているのではないか。

「人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたは、私の口の言葉を聞く時、私に代わって彼らに警告せよ」
(エゼキエル書37:7)。



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