神の国は言葉(ロゴス)にではなく、力(デュナミス)にある
- 2016/11/25 20:18
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:フェイス, デュナミス
いわゆる神学議論や聖書解釈論議など、ああでもない、こーでもない、という時代は終わっている。ジーザスが神学論を唱えたことなど一度もない。彼は愛によって働くフェイス(Gal 5:6)をデモンストレーションされた。正統神学とか教義とか、まあ、ケンケンガクガクやりたい人たちはご自由にだが、フェイスは行いによって完成される。今はデモンストレーションの時代。永遠のNOWを今、ここに現出させること。それは霊的領域のサブスタンス、神の霊のバイブレーションをフェイスによって実体化し、この時空間に現像・焼き付けすることだ。まことに―
わたしを信じる者はわたしと同じわざを行い、さらに大いなるわざを行う。わたしが父の元に行くからである。わたしの名によって求めるものは、何でもわたしがかなえてあげよう。―ヨハネ14:12