神の祝福は人を富ます―空の壺をできるだけ用意せよ!
ジーザスは時間と空間を超える。たとえば、彼の最初のしるし。カナ(「葦笛、楽器の場所」の意味、つまり歓び歌う場所だ)の婚礼で水をワインに変えた。人が約40㍑入る壺6つに水を満たすと、ジーザスはそれをワイン、しかも高級ワインに変えた。
通常、ワインの熟成には何年もかかる。高級なものは10年、20年と。が、ジーザスのわざは瞬時だった。またそのワインの値段を考えてみよ。高級ワインっ てどのくらいか、たとえばロマネコンティは124万円だとか。すると240㍑÷0.7㍑×100万円=3億4千万円!わが弟は貧困時代に労することなく一 挙に6億を手に入れた。
「人を豊かにするのは神の祝福である、人の労苦は何も加えない。」―箴言
ジーザスは貧しかった、とキリスト教なる宗教は教える。辛気臭い顔のイコンを勝手にねつ造する。が、考えてみよ、彼の誕生の時に献上された金の量はどれほ どだったか。没薬と乳香はいずれも高級香料である。またジーザスがまとっていた下着は一枚織り。それは高級品。だからローマ兵は破ることなく先を争って得 ようとして、クジで決めたのだ。
エリシャが顧みた寡婦をみてみよ。空の壺をできるだけたくさん用意せよ、そして油を注げと命じるや、それらがいっぱいになり、借金を返して、なお余りで一 生で暮らせる量だった。これが神の備え。豊かなのだ!ちまちまと借金を青息吐息でようやく返すのではない。一生分が備えられてしまう。瞬時に、だ!私たちの40億近い借金の山もきれいに海に消えた。
ワインはジーザスの血であり、心の解放と喜びをもたらす。油は聖霊だ。
問題は、こちらがどれだけ空っぽの壺を用意できるか。壺は私たち自身。私たちは土の器。自分にあって満ちている者は災い。オレの生き方、オレの感性、オレ の考え方、オレの方法、オレの才能・・・と。彼らは自分の道を行けばよろしい。が、霊が空っぽの者はジーザスに満たしていただける。それは思いをはるかに 超える。
「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に・・・」―エペソ3:20
陰気かつ不自由なキリスト教なる宗教をエクソダスせよ!乳と密の流れる豊かな産物を産出する自由の地、カナンへと!