カナン教会6周年に思う −生きるとは−

■ホームレスのAさんは洗礼はまだでしたが、キリストを求め、教会でも奉仕をされていた方でした。しかし生活は決して楽なものではありません。そんなある朝の路傍伝道の際、Aさんはその周辺にシマを張っている強面のホームレスのオジさんに張り手をかましました。その根性を買われて、Aさんは寿町で違法な賭博場(ノミ行為)を張っているある組から誘いを受けてしまいました。それはノミ行為の最中に辺りににらみをきかせ、不都合な人々を排除したり、手入れがあった時には真っ先に御用になるという役回りです。しかし日当が1万以上になり、それまで無一文であったAさんは一躍月収30〜40万、多いときで50万を手にすることになりました。しかし彼はそのことを佐藤牧師に話すとき、いかにも言い難そうに告白したそうです。そして献金のことについて話が及ぶと佐藤牧師は、「そのような金を受け取るわけにいきません。兄弟、そのような泡銭は決して身につきませんが、ムダ使いせず、せめて自分の今後を考えて貯金しときなさいよ。そしてもし教会に戻りたくなったらいつでも戻ってきていいんだよ」と諭したそうです。するとAさんは目に涙を浮かべて、佐藤師の前から立ち去ったそうです。その後彼は時々教会に来て、ジュースやお菓子の差し入れをしてくれ、少し話をして喜んで帰って行くそうです。

■生活保護を受けているクリスチャンのBさんはある大雨の日、伊勢佐木町を歩いていました。すると寿町の人とおぼしき人が雨の中にずぶぬれになって倒れているのに遭遇しました。Bさんはそのままそこを立ち去り、しばらく行って、やはり気になってその仲間のところに戻りました。もしそのままにしておいたら雨で体温が下がって死んでしまうかもしれないと思ったのです。そして彼はかさを置いて、自らもずぶぬれになりつつ、その仲間を背負い、500メートル近くを歩いて寿町のセンターの軒下まで戻りました。そして自分のドヤにもどり、乾いた下着とか衣服とかをもって、その仲間の衣服を換えてあげたのでした。また、以前ここでも書きました、足に蛆虫のたかていたYさんを見かけました。愛と祈りのパトロールの一行が彼に近づくと、彼は夏でもジャンバーを5枚も着込んでおり、風呂にも1年ほども入っていない生活をしておりましたから、すごい臭いでした。パトロールの一行はそんなYさんを不憫に思い、センターの軒下でやはり着替えをしてあげようと考えました。上半身はとりかえたものの、下半身は恥ずかしいからと言うことで、自分でするからと断られ、そのときはそのままYさんに任せました。翌日パトロール隊のひとりMさんがYさんのもとに行って見ると、案の定下半身の着替えはまだでした。そこでBさんは自分の無け無しの金をはたいて、自転車に乗せてよろよろとYさんを銭湯に連れて行きました。番台のご主人からは白い目を向けられましたが、客が少なかったので、かろうじて入れてもらえました。Yさんの服をぬがすと、ものすごい臭いが立ち込めました。特にズボンとパンツを降ろしますと、ああ、何と言うことでしょう、汚物まみれであったのです。それを見たBさんは思わず涙がこぼれたそうです。そしてYさんを風呂に入れ、背中を流したりしてあげると、積年の垢がぼろぼろこぼれ落ち、Yさんは1年かぶりの入浴に気持ちよさそうな笑顔を浮かべて感謝していたそうです。

■佐藤師はその報告を受けたとき、Mさんは無け無しの金をはたいた上、風呂でサンスケの真似までさせられて、このような行為は懲り懲りだろうと聞いたところ、Mさんは、このようなことを人にしてあげたら、確かに大変だったけれど、心の中に喜びが満ちてきて、神の聖名を崇め、もっともっと人助けをしたいと証ししたそうです。むしろ佐藤師は牧師でもしないことをしたこのB兄弟の証しを聞いて、自分自身を恥ずかしく思ったとのことです。そしてM兄弟が、ちょうど良きサマリヤ人の行為をして、神の愛に満たされて、人生の宝を得る経験をしたことを兄弟に告げました。「M兄弟は以前は悪に走り、散々に悪い事をしてきたかもしれない。しかし彼は来るべき時代において主にまみえる時、主から『何をしてきましたか?』と問われた時、今回の行為を誇る事ができるでしょう。もしかしたら一生に1回の事かも知れません。しかし主の前では覚えられています。だから寿町の伝道は止められない、ここに伝道のロマンスがある。この世においてクリスチャンがなすべきは、礼拝と伝道です。来るべき世にあっては、礼拝しかできません。現在のこの時にこそ、伝道をする、否神様の仕事をさせてただくという特権が私たちには与えられているのです。生きることはキリスト、死ぬこともまた益である。どんなことがあっても、ただ神様を神様のゆえに礼拝することです・・・」と、同師は涙を浮かべつつ話して下さいました。

■昨年10月にカナン・キリスト教会員の韓国籍の兄弟が刺し殺されてちょうど1年になります。さらに同教会の入っているビルの1室(牧師の隣部屋)では、中国人女性が、同棲していた中国人男性によって殺され、風呂場でバラバラに解体されて捨てられ、白骨化して発見される事件も起きています。刑事が佐藤師のもとに来て証言を求めたとき、同師は「もしかして、よく見かけていたが、最近見ないあの中国人か」と直感したそうです。そのことを刑事に告げると、もはや迷宮入り事件と思っていた刑事も、身震いしたそうです。結局それからしばらくの張り込みの結果、その同棲していた中国人男性は逮捕されたのです。同じのビルの中にカナン教会があり、主を賛美する集会がもたれている一方、別の部屋ではバラバラ殺人事件が起きていたのです。そしてついに教会員まで刺し殺されたのでした。おまけに隣のビルでは首吊り自殺、道路向こうの正面のビルからは飛び降り自殺までもあったのです。徐師は女性であるだけに、そのような場面に遭遇してショックを覚え、深い心の痛手を負いましたが、最近になり少しづつその傷も癒されてきています。徐師の祈りは韓国語なので意味は分かりませんが、天の父に心の内から搾り出すように訴えるその祈りには、人々の心を揺すぶるものがあります。意味は分からずとも、聞いているうちに涙がこぼれてくるのです。子として心の底からうめくように、自分の思いの丈をすべて父の前に注ぎ出す同師の祈りは、私たちの魂の深くに訴え来るのです。今週の主日、生と死、また善と悪がまさに紙一重で裏表に重なっている寿町のカナン・キリスト教会は、創立満6周年を迎え、7年目の記念すべき新たな一歩を踏み出しました。(1999.11.01/12.04佐藤師校閲修正)


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