寿風景に思う ―寿小話三題―
■寿町は本当に面白いところです。確かにキケンなところでもありますが―実際今年に入ってすでに3人が刺し殺されています―、また悲惨なところでもありますが―実際この春先に10人位がドヤで孤独のうちに死んだそうです―しかし何と言うべきか、ぼくにとっては何とも言えない魅力を感じるところなのです。横浜のマッ中心にありながら、社会から隔絶されていて、そこではまるで落語の小話の世界が、その登場人物もそのままに、どこまでがホントで、どこまでがウソなのか、しかも悪意のない中で、無邪気に交わされています。ここに来ると、何か別世界タイムスリップしたような感じがするのです。そんな寿町での典型的な会話風景から2、3のエピソードを御紹介しましょう。
■【その1】ある土曜日の朝のロボデン(路傍伝道)の時、片目がほとんどつぶれかけ、ヨダレを垂らしている中年男が深刻な顔つきでノソッとぼくのそばに来て、イジイジした様子で「先生、ボクの話を聞いてくれる?・・・ボク、実はばあさんを殴って7万6千円を盗んじゃったんだけど、ボク、もう地獄行きかな?ボク、もう一度立ち直りたいの」。ぼくは驚いて詳しく話を聞こうとしても、同じことを繰り返すだけです。そこで「神様に告白して、イエスの血によって赦していただければ大丈夫だから」と答えますと、うれしそうな顔をして、ヨダレを垂らしつつ、「ホント、ボク、ホントに大丈夫?ボク、神様のバチが当たらないかな・・・?よかった、よかった。先生、ボク、ドヤに帰ると50万円置いてあっから、後で先生にあげるよ。これから仕事も入ったら、ボク、先生にベンツ買ってやってあげる」・・・????
【その1'】この同じ男は、実はすでに何度も佐藤先生に対してもベンツを買ってやるとか、米や野菜をいっぱい差し入れしてやるからとか言いいながら、「ところで先生、1000円貸してちょうだい?」とのたまったそうです。
■【その2】ある土曜日の午後のお茶会の時に、やたらと長いド派手なネクタイをしたひとりの頭のはげたおっさんが来て、やたらと慇懃な様子でぺこぺこしつつ(しかし足が臭う~)、「先生、え~、どうも、どうも、わたし、いつも先生にお世話になってるばかりで申し訳ないので、これ、少なくて悪いけど、受け取ってくれるとうれしんですけど・・・」と言って、後生大事に持ってきた10円玉をぼくの手に握らせました。さらに、「先生、いや、いや、こんなつまんないもので申し訳ないけど、わたしの気持ちです」と言って、蒲鉾の板くらいの大きさの木のかけらをぼくにくれ(意味不明)、さらに「これも大した物でないけれど、ほんの気持ちですから」と言いつつ、一枚の手の平サイズのコピーしたカレンダーをくれました。ぼくはただひたすら恐縮を装って、「どうも、どうも」でした・・・(汗)その後、彼が昔タクシーの運転手をしていたとか、50年前に東京に出てきた経緯など、ちょっと意味不明の話を延々と聞かされました・・・(Sigh)
■【その3】ある聖日礼拝の時、佐藤先生が講壇に立つや、突如「待ってました!」との叫び声が上がりました。そしてメッセージの間中、「そうだ!」、「アーメン!」、「ハレルヤ!」と事ある毎に掛け声を掛けておりました。かと思うと突如立ちあがって、佐藤先生のところへ行って「先生、何ですかね」とやっておりました。礼拝が終わった後、やたらと元気な掛け声をかけていたその男が凛とした風情で佐藤先生とぼくの所に来て、「先生、ようやく江戸時代の研究が認められて、試験も通って、東大から博士号をもらいました」と挨拶します。ぼくは自分が何を聞いたのか、頭の中でもう一度整理をしようとしていますと、佐藤先生はニコニコして、「兄弟、それは良かったね」と言っておられます。ぼくはこの場面で何をどうすべきかよく分からなくなって、「兄弟、いったい何博士を取ったの?」と聞きますと、彼は「文学博士ですよ!」と嬉々として答えます。佐藤先生はすまして「文学博士は取るのが難しいのに、兄弟はよくやったよね」と笑顔で対応しております。ここでぼくもようやく事態が飲み込めたので、「そう、兄弟、すごいじゃない、文学博士を東大から取るなんて」と言いますと、彼は満面に笑顔を浮かべて颯爽と「ありがとうございます」と言って立ち去りました。・・・その後、彼は「文学博士 ○○太郎」と書かれた名刺を渡してくれたのだった。
■悪臭と、殺人と、ギャンブルと、ノミ行為(違法賭博)と、ヤクザと、喧嘩の罵声と、アル中と・・・その他もろもろの普通の社会では見ることのないエピソードにあふれ、一方で社会から否応なくあぶれて絶望と孤独の中でドヤで独りで死んでいく人々。親兄弟からも見捨てられ、死んで身元引受人が分かっても引き取られるケースは1割に満たず、焼かれた灰はバケツに入れられて捨てられ、身元引受人が不明の場合はバケツに入れられたまま1年置かれて後、灰捨て場に捨てられます。これらの人々の誕生の瞬間はどうだったのか、そのとき彼らの母親はどんな様で彼らの誕生を喜んだのだろうか、その後、どんな学校でどんな生活を送り、どんな人生を積み重ねてきたのか・・・。ふとこれらのことに想いをはせ、空を見上げるとランドマークタワーが威容を誇り、目を左へとパンするとベイブリッジが遠くに霞みつつ、そうだ、ここは横浜球場、元町、山下公園、中華街、そして長者町に囲まれた横浜のど真中であることを思い出しました。地理的には横浜のまさに中心であるにもかかわらず、しかしここは世間から隔離され、孤立させられ、この中で約8000人の人々のうめきが日々聞こえる場所であることを改めて確認しました。(2000.06.05)