私が東大から医学博士号をもらった研究は神経症の治癒過程に関する統計学的研究でした。従来曖昧であった神経症の治癒の定義を与え、精神療法による治療を刺激(S)、その定義による治癒を反応(R)として、この治癒過程を"刺激反応系(S-Rプロセス)"と見るとき、この刺激を受けて反応を呈するまでの期間T(S-R潜時)をある数理統計学手法によって推定したのです。
結果は、不安神経症やヒポコンドリーなど身体症状を呈するタイプと、強迫神経症や抑うつ神経症のように精神症状を主体とするタイプについて、T の分布曲線は共にガンマ分布 G( a , p ) が得られました(注)。しばしばガンマ分布はいろいろな刺激による反応を呈するまでの時間(潜時)の分布として現れますが、私たちの場合もそうでした。
注:最近のDSM-IVなどの分類と異なります
さらに興味深いことは、前者のタイプではシェイプパラメーター p が2であり、後者では3となり、スケールパラメーター a についてどのタイプでもほとんど一定(14-16ヶ月)であるという結果が得られました。この結果は日本の精神医学専門誌2誌と、ウイーンの伝統ある精神医学専門誌 Psychatria Clinica 誌に発表しました。その後追試が行われ、ほぼ同様の結果が得られましたが、これをまとめたものが私の博士論文となりました。
その後日本の大学と学界のあり方に嫌気がさし、アカデミズムをしばらく離れておりましたが、数年前に主によって無理やりに大学に戻されてしまいました。ところで最近再びつらつらと上記の結果を思い巡らしていますと、神経症の治癒過程についてひとつのとても興味深い数理モデルができることが分かってきました。今頭の中で発酵していることをちょっと覚書きしておきます。
一般に放射性元素などの崩壊過程は統計学的にポアッソン的確率過程と言われ、この確率過程に従うと元素の個数は指数関数的に減少します。よく放射能の半減期と言われますが、これは当初の元素の数が半分になるまでの期間を指します。今ある確率変数ξi が平均値 a のポアッソン過程に従うとき、その和 T=ξ1+ξ2+・・・+ξp はガンマ分布G(a , p)に従います。
この数理モデルは次のように解釈されます:神経症の治癒過程とは、人の心(無意識)の中に埋もれた感情観念複合体(いわゆるコンプレックス:精神的エネルギーの塊)の崩壊過程であり、精神療法を契機としてその塊が抑圧されていたエネルギーを放出するにつれ、精神の緊張や不安は解消されるわけです。
このとき、このコンプレックスの崩壊過程は放射性元素の崩壊過程と同様にポアッソン過程に従い、従ってエネルギーの放出も指数関数的になされると考えると、S-R期間 T の分布のシェイプパラメーター p は治癒に至るまでに崩壊すべきコンプレックスの最低個数を意味しており、身体症状を主とするタイプではこのエネルギーの塊が最低2個、精神症状を主とするタイプでは最低3個崩壊すると、私たちの定義した治癒(R)を呈すると考えられるのです。しかもそのエネルギーの塊そのものは両者のタイプで共通して1個当たり平均して a =14-16ヶ月の期間で崩壊することになります。これから崩壊過程の半減期も求めることができます(注)。
注)これらの数理はこちらを参照して下さい(アクロバットが必要です)。→http://www.aero.osakafu-u.ac.jp/as/lab3/system/Part4.pdf
私はこの精神的エネルギーの塊は大脳の辺縁系や海馬(辺縁系は情動と関係し、海馬は記憶と関係します)あたりの反響回路に蓄えられているのではないかなあとか、脳波のレベルでそのエネルギーを検出できないかあ、とか夢想しているのですが、とにかくこのようなモデルは精神分析的な解釈に統計学手的あるいは定量的な評価というか、具体的モデルを与えるものであり、けっこうユニークで面白いと自分では思っているのですが、さてさてこれで論文をまとめても多分日本では認めてもらえないでしょうから、またウイーンの雑誌あたりに投稿してみようかと、うつらうつらと考えている今日この頃です。(02.06.22)
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