英国風のB&Bの朝食を済ませてから、9時頃にB&Bを発つ。きょうの天気は昨日とうって変わってラブリーであった。ご主人のキャスリーンさんは「よく来てくれました。ラブリーなご家族ですね。」と見送って下さった。 この方の醸し出す雰囲気は何か甘くて、神に愛されているなあ、という不思議な印象を残して下さった。あまり多くの会話はなかったが、御霊によるキリストの香りというか、そんな深い印象が刻まれた。こんな風に歳を重ねたいものだ。 ネス湖を左に見て、ずっとネス湖沿いのA82を走る。途中にネス湖資料館があり、そこに立ち寄る。ネッシーを捜す調査隊の記録などが展示されている。正式な名称は「オフォシャル・ネス湖モンスター・イグジビション・センター」という仰々しいものである。ネス湖は約45キロ、幅1.4キロの細長い湖であり、何か巨大生物がいると昔から噂されていた。今世紀になって写真などが公表され、一躍有名観光スポットとなったわけだが、その写真も捏造であることが発覚した。しかしなおネッシー捜査隊が組織されて、いろいろな調査がなされてきたが、決定的証拠は得られないまま、ネッシーはいぜんとしてナゾに包まれている、という説明が映画でなされていた。ネス湖のライヴ・カメラはこちらをどうぞ。 ところがこの映画が上映されている暗闇の中で、小生の前歯が1本落ちてしまった(つまり差し歯なんです・・・汗)。カランと何かが落ちたと思ったら、何と歯がない。足元は暗く、一瞬焦る。息子が気が付いて女房に告げると、彼女が「ええ、大丈夫!」と大きな声を出すので、周囲を気にしながら、手探りで探すと、あった!助かった。やれやれ。しかしそれからの数日間、1本でも歯がないと空気が抜けて、英語の発音がただでさえ下手なのに、ますます分かりにくくなり、相手に何度も聞き返されるのだった。ラザロのオッチャンたちの気持ちが分かる。 次に有名な崩れたアーカート城跡(ライヴ・カメラ)がある。ここは1692年にジャコバイトの侵略を恐れた国王の手によって破壊された。何ともわびしいというか、歴史に取り残されたというか、そんな風情をかもしている城跡である。ここでどんな歴史のドラマがあったのか、いろいろとイマジネーションをかきたてる。 地図で見ると分かるが、要するにネス湖は割れ目なのである。その深さは最深部で230mとのこと。ネス湖のインヴァネスの反対側に位置するセント・オーガスタを通過し、フォート・ウイリアムを通り、A82に入った。この辺りはネス湖みたいな雰囲気の湖の連続である。どこにでもネッシーがいてもおかしくはない雰囲気。地形も荒涼たる雰囲気が続く。ちょうど北海道の宗谷岬の日本海側のような雰囲気である。 かくしてグラスゴーを通過し、M74でスコットランドを抜けて、A74で再びカーライルに戻り、イングランドに入り、M6に乗る。途中でラウンドアバウトを回り、A66にてケズウィックに到着する。雰囲気的には地形は山があり、起伏に富んでいる。日本で言えば霧が峰的な雰囲気である。通称湖水地方と呼ばれ、明媚な湖が沢山あり、ウォーキングやトラッキングなどで人を集めている。またテディベア発祥の地としても有名で、街並みはやはり箱庭のようなカワイイ感じ。 今晩の宿はユース・ホステル。川沿いにあり、修善寺の温泉宿を彷彿とさせる(もちろん温泉などはなく、シャワーだけだが)。 このチェックインの際のフロントでの会話。小生:「ここは駐車場はないの?」、相手:「見れば分かるでしょ。目の前は川なのよ。どうして駐車場があるわけ?」、小生:「ぼくたちは車で来ているの、だからどこかに止めたいんだけど・・・」、相手:「夜は道路が自由に止められるって」。これを先に言えよって! 要するにこれを聴きたかったわけだが、どうしても日本的な気を回した回答がすぐには出ないのだ。こちらでポイントを付いて質問しないと、まず求める回答は得られない。「気を回す」という心理も日本独特のもので、土居健郎先生が分析しているが、外国に来るとその違いが顕著に分かる。 荷物をまとめて街中をブラブラする。かわいいテディベアの店などもあり、なかなかいい感じの街である。中心部にWW2で戦死した人々のモニュメントが立てられている。イギリスに来る前に「マジェスティック」という映画を見ていたので、ついその刻まれた名前を見て、そこに隠されている一人ひとりの物語を連想してしまった。 夜の食事は完全セルフサーヴィスであったが、オニオン・スープがなかなかうまく、ユースホステルにしては結構イケてた。 |