第8回 賜物を大いに用いる


1.気楽な稼業とは

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」といった流行歌がありましたが、好景気の時のビジネスマンたちはカラオケでこのような歌を歌い、実際にそんな気持ちで毎日を過ごしていたものでした。

一つの会社に就社し、会社のためが、イコール世のため、人のため、家族のため、自分自身のためであると疑っていなかった会社人間のビジネスマンが、私を含めて大半でした。景気が低迷してくると、そんなすべてがハッピーといった事態が続くわけがありません。一所懸命に働いてきた会社なのに、合理化、リストラが相次ぎ、更には倒産も。職場やポストをいきなり失うことにもなります。

ビジネスマンが頼りにしていた会社に、グローバルスタンダードな企業倫理があるのだろうか、果たして自分はどんな倫理観を持って毎日を過ごしてきたのか、自分の意思決定の優先順位は間違っていなかったのか、といった疑問に多くの人が遭遇しています。「こんなはずではなかった。自分の立身出世は、何のためだったのか。」と、人生の目的を改めて見直している人が増加しています。


2.ある上場企業の社長の話

先日、会社が危急存亡の危機に直面しているある企業の社長から次のような話を聞きました。

「私は55歳、仕事人間としての人生のゴールを60歳までと設定した。残された期間を精一杯この揺れ動く会社のために捧げることにし、昼夜を問わず全力投球したいと思った。妻とは高校時代からの付合いで、妻の性格は、何でも100%夫と共有したいタイプ。私がこれ以上、仕事に傾注して行くことに理解を示さない。私は、経済的にもずっと妻の両親の面倒まで見ており夫として合格点をいただけるはず。このような状況の中で、中途半端なことは嫌いな性格なので、私は住居もお金もすべて妻と娘に渡し離婚した。やましいことはない。社長としての生き様、仕事への忠誠を示した。」

私は、そこまで追いつめられたこの社長に対し、何と答えたら良いのか分かりません。いくつかの聖書箇所が心に浮びましたが、その言葉を発することが出来なかったのです。この方とはこれから仕事を通じて長いお付き合いとなりますが、イエスさまの福音が伝わるその「とき」を待ち望みつつ祈ります。

新約聖書ルカによる福音書第12章25〜26節の、

あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか

が、私の頭をかすめます。

私たちは、いつもこの人生において、何だかんだと分かりもしない先のことで思い煩い、慌てふためきがちです。

また、私たちキリスト者ビジネスマンが仕事を進めて行くときに、選択の優先順位が決まっていることが、物事を単純化させて正しい判断をすることに役立ちます。何のために仕事するのか忘れてはいけません。「目的と手段を取り違えてはならない。」と思います。

夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい(Tコリント第7章3節)


3.良い忠実なしもべ

新約聖書マタイによる福音書第25章に神様の期待する仕事の記述があります。異なるタラント(恵み)をいただいたしもべが、それぞれいただいたタラントに応じた成果を挙げ、次のような一言一句違わない誉め言葉をいただいています。

よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。

私たちが、精一杯行った自分の成果に不満を抱いているとしたら、それはその成果の大きさを他の人のそれと比較しているからではないでしょうか。神様は私たちに与えてくださった恵み以上のものを求めておられません。一人ひとりが、その恵みを精一杯生かしてその人なりの成果を挙げれば、すなわち責任を持って、神様からいただいた賜物を積極的に用いれば、「良い忠実なしもべ」と、喜んでくださるのです。


mbgy_a05.gif