父親学総括―父親よ名優であれ―


ΙΧΘΨΣ (さかな)


はじめに

『二年半もすると、皆さんのおうちは戦場となります。その時は皆さん、名優になって演技して下さい。』次女が高校入学した日の父母会の席上、学年主任がこう切り出した。大学入試が近づくと、子供達は過度の緊張から自分を見失い、自信を喪失する。その時、一緒になってうろたえてもらっては困ります。何食わぬ顔をして、宥めすかしながら自信を回復させ、第一志望の合格へ導いて欲しいという趣旨でした。長年、大学入試に携わって来られたベテランらしい味のある一言に感心させられたものです。

クラスの半分近くが医学部を目指し、希望に胸膨らませて入学して来たのに、次々と落伍して行きます。そして最後に残った二人とも不合格。『折角ここまで頑張ったんだ。もう一年一緒にやろう。』と娘に説得させて回ったのですが、誰もついて来ませんでした。聞けば、親の方が精根尽き果て、もう頑張れないとの事でした。


第一章 教育効果を測定する或る実験

1960年代の初頭、米国の大学で行なわれた実験があります。広い講堂に十才の子供と両親が招集されています。子供達には『或る課題』が与えられ、両親は観覧席にいて声援を送ったり、アドバイスする事が許されています。制限時間内に課題をいくつ達成するかが評価されますが、複雑で子供の手に負えるようなものではありません。

最初、元気の良かった子供達も次第に焦り始め、ここそとばかり母親は懸命に応援を続けます。次第に子供達の間に差が出て来ます。


第二章 実験の狙い

この実験の目的は子供達の成果を見るものではなく、両親の態度を観察することでした。母親の態度は概ね変わりはなく、熱心を通り越して殆ど『半狂乱』になって声援を送り続けています。係員の制止も聞かず、子供の傍に来て一緒に作業する母親も少なくなかったようで、『母親とはそうしたものだ。』と実験者は結論しています。

真の狙いは父親の取った態度の観察にありました。彼らの態度は、 @熱心派と、A慎重派に分れています。慎重派はさらに二つに分かれます。始めから終りまで自分の子供だのに全く無関心という人。ニコニコ笑って遠くから見ていてクールですが、一端問題が起こると積極的に介入して来るタイプとに分かれています。

子供達の成績に評価が下されます。

@ 多くの作品を提出するが、欠陥も多いタイプ (むらっ気型)、
A 作品の数は多くないが、纏めてくるタイプ (コツコツ型)、
B 数も少なく、出来映えも冴えないタイプ (落ちこぼれ)、
C 出来映えも出来高も両方優れたタイプ (成績優秀)


成果と父親の態度には強い相関関係が認められ、これを表に纏めると次のようになります。


 

母親の態度

父親の態度

@むらっ気型


熱心派である。

熱心派である。

Aコツコツ型

熱心派である。

調整役を買って出て子供を
落ち着かせようと努力している。

B落ちこぼれ

中には冷淡な態度の親もいる。

熱心派である。
無関心派もいる

C成績優秀

熱心派である。

普段はクールだが、問題には積極的に
介入し主体的に解決に奔走する。



第三章 考察

この表で見ると、最高の組み合わせはクールなお父さんと熱心なお母さんです。最低の組み合わせは意外な事に、子供の運動会にハンディカムを抱えてやってくる『超マイホームパパ』に代表される熱心派のお父さんとサングラスを掛けて醒めた『恰好いいママ』という組み合わせです。少子化時代を象徴するカップルだけに気になるところです。

この実験の結果は何にでも応用できます。 進学、結婚、就職、事業計画、等など。父親を『監督』、母親を『コーチ』と置き換えれば、スポーツの世界にも当てはまり、ビジネスの世界や政治の世界、はたまた国際政治の分野にまで応用できます。真の指導者とは何であって、何ではないのか、私達は本当の指導性とは何かわかっているでしょうか。

子供が自分の意思で行動する時、必ず何らかの失敗を経験し、行き詰るものです。その時、父親はどのように介入し、助言をすれば膠着状態は解け、事態は好転していくのでしょうか。子供の人生設計に親としてどこまで、どのように参加が許されるでしょうか。父親学とは『たかが父親学』であるが『されど父親学』でもあるのです。それほどに奥の深い学問であり、人間の生き方の根源に触れる問題なのです。

子供の尊厳を大切にしながら、上手に問題に介入できる人であるなら、実社会でも必ず実績を残せる筈です。子供を一人の人格として扱い、聖書の言うように『自分よりも優れた人』として尊敬を払う。そうすれば、私達の社会における評価も必ず違ったものになっていく筈です。何故なら子供は他人の始まりであり、人生最高の教師だからです。


おわりに (Enjoy your fatherhood)

人生の修羅場に差し掛かると、母親は前後の見境もなくなるほど感情的になるものです。この事を無視してはいけません。逆にそれを予め織り込んでおいて、どのように行動すれば最高の結果が残せるかを考えて欲しいのです。私達男性は自分を殺す訓練を実社会で十分にやって来た筈です。組織の中でどう行動すべきか訓練され、熟知している筈です。親子関係も立派な組織です。家庭内でもその『組織行動論』を活かして、最高の指導者になって頂きたい。亭主関白と粋がって、毎晩飲んだくれている場合ではありません。

『他の人を自分よりも優れた人として扱いなさい。』 どんなに頼りなくても、子供は独立した人格です。決して親の付属物ではありません。父親が母親と一緒になって感情的になって対応したら子供はどうなりますか。 必ず潰れます。 思い出してみて下さい。お父さんがPTA会長だったという友達はどうなっていますか。両親が教育熱心な家庭から優秀な人材が輩出する事は少ない筈です。ヘルマンヘッセの『車輪の下』は教育とは何かを私達に教えてくれているのです。

賢いお父さんは国の宝なのです。 賢い父親は生れてくるのでしょうか? または環境の中で揉まれて訓練されてそのようになるのでしょうか? 『賢い父親』を『優れた指導者』とおけば、答は必然的に後者、すなわち後天的な形質だと思います。

『聞く耳と見る目とはともに主が造られた。』後天的な形質である最大の根拠は、優秀な指導者になる為には最初に神様の助けが必要であるという点です。人間とは何かという本質論は神様抜きにして理解できません。人間は何を求めているのか、先ず良く見て耳を傾ける努力をしなくてはなりません。その見る目と聞く耳は神様が造られるというのです。私達の生まれながらの性質では真実を見抜き、心の叫びを聞き取る事は出来ないのです。自分の中に真理を求める真摯な態度などかけらもない事を素直に認めることです。 そして、神様の助けを呼び求める時に助けが来るのです。


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