主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め(詩篇37:6)。
あなたがたは祈ってはまた祈り、待ち望んではまた待ち望んでも、なお神の顕現に接しなかったのか。何も動かないので疲れてはいないのか。全く思い切ってしまうところではなかったか。恐らくあなたがたは正しい方法で待たなかったのであろう。そのことが神のあなたがたに会いなさることのできる、正しい場所からあなたがたを妨げている。
耐え忍びて待て(ローマ8:25)。
忍耐は思い煩いを取り除く。主は実行すると言われたが、その約束は御臨在と同じである。
忍耐はあなたがたの悲しみを除く。なぜ悲哀を感じて落胆するのであろう。主はあなたがたよりもあなたがたの必要を知っておいでになる。主がわたしたちを待たせなさるのは、そのことからさらに多くの栄光を得たもうためである。
忍耐は己の業を取り去る。神の臨みたもう業はあなたがたが信じることである(ヨハネ6:29)。だからあなたがたが信ずる時にすべてのことが好転することを知るべきである。
忍耐はすべての過大な欲求を取り除く。あなたの欲している願望は、神の御旨が成就するようにとのあなたの祈りよりも恐らく過大であるに違いない。
忍耐はすべての弱さを取り除く。これは成り行きに任せる遅延の時を過ごす代わりに、神はあなたのために更に大きい供給をなさること、また神はあなたがた自身をも備えたもうことを知るべきである。
忍耐は動揺を取り去る。「わたしをわたしの立場に立たせ」(ダニエル8:18英訳)。神の基は堅固である。神の忍耐がうちにある時、わたしたちは待つ間にも不変である。
忍耐は礼拝を与える。神を賛美する忍耐、すなわち「喜んで耐えかつ忍び」(コロサイ1:11)とはこのことについて記された最善の個所である。「忍耐力を十分に働かせるが善い」(ヤコブ1:4)。
あなたが待っている間に忍耐のわざが成され、あなたは大きな富を発見する。―C.H.P
試みの火の燃ゆるとき堅持せよ
その時うちに学ぶべきことどもあり
この道より他に転ずべき道はあらず
忍耐をして全きわざをなさせよ
■出典:「荒野の泉」、カウマン婦人著/山崎亮治訳、福音文書刊行会、pp.62-63