Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2001.10.14


霊的リアリティの内に生きる

死と復活の原則

私たちは自分(魂)で自分の生活、人間関係、人生を建て上げようとします。その営みがこの世の有様です。しかししばしばせっかく建て上げたものが、今回のWTCビルのように一瞬にして崩れ去ることがあります。絶望の中で、神よ、なぜですか!と私たちは叫びます。しかしハレルヤ、その時こそ私たちは黙してキリストと共なる死に留まるのです。キリストの死が働くとき、私たちの心は人知を超えた神の平安と安息で沈静されます。状況は真っ暗闇でも、何もすがるものがなく、何も支えがないように感じられるとき、実は神の御手が望むのです。私たちの何かは、たとえそれが善であっても死に渡される必要があります。私たちの万策が尽きた死の後、御霊は復活の領域で再建の業を開始されます。復活の領域にはサタンもこの世も手を触れることができません。失ったものをはるかに超える神の祝福がもたらされます。自己の死を経ないものはすべて偽りです。復活の領域のもののみが神にとってかぐわしい香り、最上の捧げ物なのです。


1. 人の実存的状況

  ・いのちの木と善悪の木の選択


2. 善悪の木

  ・神からの独立−相対的価値観、特に善が問題

  ex. .魂的愛、魂的価値観→人間中心


3. いのちの木

  神への依存(信仰)−善悪の価値観によらない→魂の否定(ルカ9:23,24など)


4. クリスチャンのわな

  魂から出た動機で、魂の方法で、何かを建て上げること(砂の上の家)


5. 神の方法−死と復活(一粒の麦のたとえ)

  ・最初のものは肉、第二のものが霊(1コリ15章)

  ・生きるためには死ぬ(Die to live)、得るためには失う(Lose to get)


6. 私たちの経験

  自分の建てた物が崩される→自己の絶望→御霊による再建


7. 復活の領域に生きる

  ・私たちはキリストと共に死に、共に復活した(ローマ6:3-5)

  ・十字架における死→「私」は死んだ→信仰による認知→経験化

  ・霊の経験→神の御霊にチューニングする(ローマ8:5,6)

  ・サタンも悪霊もこの世も手を触れることができない!