Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2001.11.25


霊的リアリティの内に生きる

求めるものは何でも

私たちは子とする御霊を受けています。この御霊は私たちが神の子であり、キリストと共なる共同相続人であることを証されます。私たちはキリストの人性を通して、その方の中に生きた御霊を受けることにより、キリストと同じ立場を得ました。私たちはキリストのうちにおかれています。これは単に法的な地位のことだけではなく、いのちの結合の関係です。このいのちの結合はぶどうの木と枝の関係です。私たち枝はまことのぶどうの木であるキリストのうちに住み続けることです。このときいのちの甘い樹液がしとしとと私たちの霊の内に流れ込み、私たちを潤し、満たし、健やかにします。私たちはもがくことなく、この交わりのうちにとどまり続けるときに、御霊の実が結びます。このとき交わりの中にいるとき、何でも求めるものはかなえらえる、というイエスの約束の言葉が私たちの幸いな経験となります。これは私たちの喜びが満ち溢れるためであり、御父が私たちをとおして栄光化されるためです。キリストと父の関係が、そのまま私たちの内にも実現するのです。キリストのいのちと祈りが私たちのいのちと祈りになり、私たちを通して、神の栄光が輝くようになります。神の子たちの出現こそが永遠の神のエコノミーなのです。

1.神と人の関係の本質

  ・神−招き

  ・人−応答(責任=responsibility=応答性)


2.子とされることの意味

  ・いのちの共有:私たちの内のキリストのいのち(ガラテヤ2:20)

  ・子とする霊:御霊は子であることを証する(ローマ8:15-16)

  ・神の資産を相続する(ローマ8:17)


3.いのちの交わりにとどまる(ヨハネ15章)

  ・キリスト:まことのぶどうの木

  ・私たち:ぶどの枝

  ・木と枝の関係:いのちの結合、枝はただつながっていること

  →実を結ぶのは御霊の責任(ガラテヤ5:22)

  ・いのちの樹液の循環


4.イエスの約束

  ・ヨハネ14:10−21

  ・同15:7−8

  ・同15:16

  ・同16:23−24


5.神の究極の願い

  私たちがキリストに似た者となること

  →神→キリスト→私たち=教会→ご自身の表現=栄光