Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2002.04.28

真理の実践シリーズ


キリストの復活の意味

キリストの死は肉体においても苦痛に満ちたものでしたが、霊においては父との霊的交わりから切り離され、完全に捨てられました。恐るべきことです。キリストの十字架は人が高価で尊いからではなく、神の義と愛のジレンマが矛盾なく証しされた場所でした。神はアダムの失敗によってサタンに試されたのです。もし人を裁けば、神の愛は損なわれます。もし人を赦せば神の義が損なわれます。しかし神はご自分を傷つけることによって、その義と愛を両立させ、ご自身の聖を証しされました。キリストは死に渡されましたが、死は彼を閉じ込めておくことはできませんでした。彼は復活したのです。その復活はまず神の証のためでした。すべてのわざが完成し、神は御子の捧げ物を受けて完全に満足されたのです。キリストはご自身の義を証しされ、彼を信じる者を義とすることができます。信じる者は神の義を得たのです。彼は死に打ち克ち、彼と結ばれた私たちも、その死と復活に与って、死に対して勝利しています。そしてキリストは復活の初穂としてご自身を神に捧げられ、天に昇られました。初穂は密かに捧げられる最上の捧げ物です。復活したキリストはマリアに対してはご自分に触るな、まだ父の元に上っていないからだと言われました、8日後トマスに対しては触ってみよ、と言われました。この間にキリストはご自身を初穂として密かに神に捧げられたのです。キリストはいまやいのちを与える霊です。もちろん栄光の肉体をもって復活されましたが、同時に霊的領域において、私たちの霊のうちに御霊によって御臨在下さる方となりました。わたしたちにいのちを与えるためです。キリストの復活は単なる歴史的事実ではなく、いまここで私たちのうちにおいて起きていることなのです。キリストにある私たちはこの栄光の復活に与る存在とされているのです。


3.キリストの復活の意味

  @神の満足と認証、私たちを義とする(ルカ3:22、ヘブル10:5-9、ローマ4:25)

  A死に対する勝利(ローマ6:9、1コリント15:55、2テモテ1:10)

  B新創造の初穂となった(1コリント15:20)

  Cいのちを与える霊となった(ヨハネ5:21、1コリント15:45)




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