Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2002.05.26
真理の実践シリーズ
教会の土台も頭もキリストです。また教会を建て上げるのもキリストです。私たちは肢体として組み合わされ、神の住まいへと至る過程にあります。祭司として働く際、いのちの務めに与ることがポイントです。新約の務めはいのちを生み出し、養い育てる務めです。具体的な奉仕も、まず自らがいのちに与り、互いにいのちを分かち合い、いのちを育むことがポイントです。いのちを損傷することはキリストの体を傷つけることに他なりません。一番大切なことはまず安息にとどまることです。それはキリストと共なる十字架の死の適用です。安息から出ていないことはすべて互いに傷を与えます。教会の問題は肢体としての自分の召しを知らないことです。神から委ねられた職務が分かるならば、平安と確信、そして満足を持つことができます。分からないと他の肢体が気になり、時に嫉妬や競争心をいだきあい、互いの関係において安息を損ないます。私たちの振る舞いは各自の信仰の証であり、互いの関係もそれぞれに対する信仰の表明なのです。教会は多数決によって運営されるものではありません。各肢体が主の前に安息し、静まる時、御霊の油塗りが誰にとどまり、誰がどのような召しを受けているか分かるのです。そしてその油塗りに信頼する時、その肢体の働きに委ねることができます。こうしてキリストが御霊によって私たちを自由に用いることができると、教会は自由といのちと喜びの満ち溢れた状態となるでしょう。仮に問題が起きても、十字架の適用がある時に復活が続きます。死と復活の適用こそがあらゆる問題の解決の鍵になります。 |
1. 新約における教会の実際(リアリティ)
@教会の土台はキリスト(エペソ2:20)、頭もキリスト(エペソ5:23)、建てるのもキリスト(
マタイ16:18)
Aキリストのいのちを吹き込まれた存在(エペソ1:20-23、5:32)
B契約の箱の実体であるキリストは霊のうちに住まう(2コリント4:7、2テモテ4:22、cf.黙
示録11:19)
C クリスチャン=聖徒=祭司(1ペテロ2章)
D 生ける幕屋また神殿(2コリント5:1、6:16、エペソ2:20-22)
E 究極は新エルサレム、立方体、神の臨在そのもの(黙示録21章)
2. 新約の奉仕
@ いのちの務め(2コリント3章)=いのちの産出と成長→栄光の務め
A 祭司として神の神殿(=教会)を建て上げる務め(1ペテロ2:5,9、エペソ4:16、1テモ
テ3:15)
B 神から多くのことをなしていただいた者が多くの有効なわざをなす(マタイ20:26-28、
ヨハネ12:26)
3. 具体的運営のポイント
@ 各肢体が頭(キリスト)に服する:教会は安息の上に建てられる
A 合議制とか多数決によるのではない:油塗りが誰に留まるか、主からの委託がどこ
にあるか→信仰の問題
B それぞれの信仰が露わにされる:体の一部としての意識と感覚に服する
C 教会の問題の本質は自分の召命を知らないこと→安息の欠如→他の肢体に嫉妬→
競合→不安や動揺の霊を広める→互いの間の疑い・緊張→問題の顕在化→分裂
・このとき様々の主張や言い訳がなされるが、問題は善悪ではなく、主の平安がどこに
留まるか
D 問題は起きてくる→その後の対応がポイント:鍵は死と復活=十字架
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