Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2002.06.09
真理の実践シリーズ
神の永遠の御旨は教会を得ることです。教会とは人の組織した教団や宗教法人ではなく、キリストのいのちを御霊によって吹き込まれた存在、すなわち「私たち」です。神の意図はエデンの園でいのちの木の実を取って欲しかったのです。ご自分のいのちを人のうちにインプラントすることです。しかしアダムとエバは善悪の木の実を取りました。これは神からの独立、神に頼らないこと、神に背を向けることでした。こうして人類は自分の手練手管で生きる術を勝ち取り、人を押しのけて自分が生きようとする存在となりました。成功すれば高ぶり、失敗すれば自己卑下に陥ることの繰り返しです。しかし今や私たちはキリストにあって自分が死んだ存在、代わりにキリストが私たちのうちに生きて下さるのです。あらゆる場面において、いのちなるキリストが私たちを通して生きて下さるのです。教会とはこのキリストのいのちのあらゆる豊かさが満ちたところです。私たちの霊的成長は何かの方法によるのではなく、ただいのちなるキリストと交わり、キリストを味わい、キリストに満たされ、キリストによって満ち足り、飽き足りることによるのです。あらゆる問題や葛藤はいのちなるキリストがすべてご存知です。このキリストにすべて任せておくのです。そのとき何をどうすべきかもおのずと分かり、それに従うとき、自然と勝利を得るでしょう。なぜならその知恵はキリストの知恵であり、神の知恵なのです。キリストの聖に触れる時、私たちは自分を本当に知ります、そしてキリストの贖いの必要を真に見ます。しかもそれはすでに完成されているのです。ただ信じて受けるだけです。こうして私たちの間に神の臨在が回復され、満ちるとき、神の業をとおして神に栄光が帰されるのです。
|
現在の私たちの霊的経験の鍵−エンジョイ・クライスト
@ 内にいますキリスト:私たちのいのち(コロサイ3:3,4)、栄光の望み(コロサイ1:27)、キリ
ストにあってすべてはアーメンとされた(2コリ1:20-22)、キリストこそすべてのすべて(1コ
リ1:30、エペソ1:23)
A 御霊:キリストのパースンとわざ(赦し・癒し・解放・勝利など)と言葉を実体化する方(ヨハ
ネ16:13-16)=客観的真理を主権的経験(インナーリアリティ)に下ろす方=みな御霊に
含まれている(ヨハネ16:13、ローマ8:32)
B 御霊の内住=三位一体の神の内住(ヨハネ14:15-26):旧約の聖徒が得なかった事(ヘ
ブル11:39,40)
C 私たちの霊:神の霊にチューニング(同調)する、積極的に関わる、応じる、受動性は致
命的
D 神の主権と御言葉に服すること=自己放棄・十字架を負うこと→服すれば服するほど権
威を得る→いのち(平安と安息)→主権と権威の行使
E ただキリストの臨在を求める:キリストを楽しむ、キリストによって満ち足りる、キリストに
よって潤される、キリストの平安を楽しむ、キリストの御臨在に浸る、どこでも、絶えず、
どんなときも、・・・・
|