Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2002.06.16
真理の実践シリーズ
わたしたちは血によって贖われ、闇の支配の下から神の御子の支配の下に置かれた存在です。私たちの地位はキリストのうちにあり、キリストにはすべての権威が与えられており、私たちもその権威に与るものとされました。私たちはキリストの権威に服すれば服するほど、その権威を実際の場面において行使することができます。その権威は私たち由来のものではなく、私たちが着ているキリストであり、このキリストに頼る時、キリストが権威となって下さるのです。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉により、信じた者はただちに安息に入り、安息にあるときにあらゆる神の知恵と語るべき言葉がうちにいます御霊によって示され、明確に分かります。私たちがキリストにある権威を帯びて語る言葉には力があります。神の権威を帯びているからです。敵は私たちを沈黙させようとしますが、私たちは語るべきです。自分の思想や意見や感想ではなく、神の言葉を語るのです。敵は語り出された神の言葉を恐れます。この世は意志と意志の相克です。あらゆる具体的場面において、だれの意志がなされるか、この争いがこの世の有様です。究極的になされる意志は神の意志です。私たちが神の意志に真に服しているならば、目先の人の意志や悪魔の意志に対して対抗することができ、神の意志を宣言し、かつ実行することができるでしょう。鍵は「キリストにあって」にあります。「キリストにある」ことの絶大なパワーと富を掘り起こすのです。
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1. この世の有様−意志と意志の相克
2. クリスチャンのポジションと権威
@ 神の国(神のご計画)の中に置かれた(コロサイ1:13)=キリストのうちに置かれた
A 神の祝福の約束はすでに実現している(エペソ1:3)
B 私たちの頭、また万物の頭はキリスト(1コリント11:3、エペソ1:22、4:15)
C キリストの頭は神であり、キリストは父の御旨の実行者、私たちはキリストを通して明
らかにされる父の御旨を実行する(ヨハネ5:19、cf.マタイ7:21)
D 権威に服することの必要性(ローマ13:1-3)
しばしばこの世(教会ですら)の権威はそれを乱用する→意志と意志の葛藤が起きる
E 服することと権威の関係→私たちには権威が与えられている。究極の権威である
神の意志に服すれば服するほど、権威を帯びかつ行使することができる(マタイ8:9、
28:18、マルコ3:15-16、ルカ10:18-20)
F 信仰(聞くこと)→従順(行うこと)→権威の行使→神の国の現われと拡大
真に服することができるとき、私たちはキリストの平安(ヨハネ14:27)、神の平安(ピリ
ピ4:7)に与ることができ、その安息にあって権威を行使できる
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