Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2002.11.24
聖書真理シリーズ
御霊は旧約ではイエスを証することはありませんでした。あくまでも神の霊として人と関わったに過ぎません。しかし新約ではイエスの死と復活を通して、イエスの御霊、キリストの御霊として注がれ、私たちのうちにいのちとして住まわれ、イエスの言葉とわざ、そしてパースンを証しします。その中心は十字架です。霊的経験のスタートは十字架です。キリストの身代わりの死のみでなく、キリストと共なる私たちの死と復活を証しします。私たちの霊的経験のすべてこの復活の領域においてなされるのです。最初のものは肉のものであり、第二のものが霊のものです。私たちの責任は自分の十字架を負い、魂を十字架の死の効力の下に置くことです。自分で魂を救おうとせず、キリストの御手に委ねることです。私の死は魂自体やその機能を破壊することではありません。魂といのちとすることから霊をいのちとすることへの転換を意味します。こうして私たちは御霊の十字架の取り扱いを受けるときに、「肉の人」あるいは「魂の人」から「霊の人」へと変えられていきます。すべての事柄に対して霊によって反応し、霊がすべてを見抜き、霊が解決法を知り、霊が魂を用いるのです。こうして霊が強くなり、解放されるほどに、私たちの平安と安息は深くなり、同時に権威を帯びるでしょう。大切なことは、御霊は必ず十字架と共に働かれます。今日十字架を経ていないいわゆる霊の現われに対しては十分なる警戒が必要です。サタンは神の業のイミテーションがきわめて上手なのです。 |
1. 十字架
@ 十字架の意義の二面性
・ イエスの十字架:罪の贖い、ご自分を一粒の麦として裂いていのちを解放した(身代
わりの十字架)
・ 私の十字架:個人が負うべき十字架→魂のいのちの処理・魂をいのちとすることがな
いため→霊をいのちとする(一体化の十字架)
A いのちの意味:生きる原理・拠り所・生のエネルギーの源
B 現在魂を否む者は来るべき王国を得る(ルカ9:23,24、14:26,27)
C 御霊は十字架のキリストの死(ヨハネ16:8-10)と私たちの死(ローマ6:1-11)を内に実
体化する→沈静・もがきの消失・安息・平安
D 死は復活の必要条件:復活のものこそ神の目に高価で尊い(1コリント15:46;”霊のも
の”)
注意:「死」はその人の魂の働きや個性を破壊することではない!魂を動かすエネルギー
の源が魂から霊に切り替わること。また生きる基準や価値観が変わることを意味する。
2. 御霊と十字架
@ 御霊はイエスを証しされる(ヨハネ )→イエスの栄光=十字架
A 御霊の証のうちにはイエスの人間性、死、復活、昇天が含まれている→イエスの経験
が私たちの経験とされる
B 罪(ローマ6:7,11)、肉(ガラテヤ5:24)、律法(ローマ7:4)、この世(ガラテヤ6:14)、サ
タン(1ヨハネ5:18)に対する対処はまず十字架の死→復活したものに敵は手を触れる
ことができない
C 十字架の本質は分離・聖別→神の聖の伝達と主観的実現
D 安息と平安の獲得→御霊が十字架の死を私たちのうちに実体化する=明け渡し・服
すること→権威を帯びる→サタンは逃げ去る(ヤコブ4:7)
E 御霊と十字架は必ず車の両輪のように働く→十字架のない霊の働きは偽り(霊の見極
めのポイント)
F肉の人(1コリント3:1)→魂の人(1コリント2:14)→霊の人(1コリント3:1)
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