Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2002.12.25

フェイス・ウイーク 2


捧げ物の実体としてのキリスト

レビ記1−5章にある捧げ物はすべて実体であるキリストの贖いの要素の予型です。燔祭(全焼の捧げ物)、素祭(穀物の捧げ物)、酬恩祭(和解の捧げ物)、罪祭(贖罪の捧げ物)、愆祭(賠償の捧げ物)です。燔祭は傷のない雄の牛・羊に手を置いた後解体し、祭壇の火で焼き尽くします。これが主に対する宥めの香です。キリストも同様に私たちのために傷のない完全な子羊として、ご自分の聖なる体を裂いて、ご自分を神への宥めの香として捧げられました。按手は一体となることを意味しますが、私たちもキリストと一つです。キリストが焼かれたゆえに、私たちも神に対する宥めの香を放つことができるのです。素祭は細かく砕かれた上等の小麦に乳香を混ぜ、種(酵母)を入れることなく焼いたものです。見かけを膨らませる酵母や甘ったるい蜜を混ぜることなく、むしろ塩で味付けられています。この小麦粉はキリストの繊細な人間性を意味します。細かく砕かれ、むらのない、パウダータッチのキリストの御性質を意味します。乳香はイエスの誕生の時の博士たちの贈り物(黄金、没薬、乳香)のひとつであり、キリストの復活の香を意味します。黄金はイエスの神性、没薬は麻酔薬として使われることから分かるように、イエスの苦痛を意味します。オリーブ油である御霊はこのイエスの御性質を証しして下さる霊です。酬恩祭は神と私たちの和解のために捧げられたキリストです。私たちが今だ神に敵対していた時にさえ、キリストはご自分を捧げて下さったのです。罪祭は私たちの内に住む罪(Sin)を対処するためのキリストの御業を意味します。罪のない御子を罪とされ、御子の肉において神はこの罪を処罰されたのです。こうして罪は私たちに対する力を失っています。愆祭は私たちの犯す個々の罪(sins)に対するキリストの御業です。私たちの過去の、現在の、そして将来の罪はすべてこのキリストの捧げ物のゆえに贖われているのです。このようなキリストの豊かな御業を証しして下さる方が御霊です。御霊はキリストの各面を私たちの主観的経験として下さいます。豊かに経験したキリストを捧げる時、神は宥めの香として満足して安息され、私たちも同時に満足と安息を得るのです。

1. 燔祭(レビ1章)

 @ 傷のない牛・羊・鳥→キリストは傷のない神の子羊(ヨハネ1:29、1ペテロ1:19)

 A 動物の上に手を置く→一体となること(ローマ6:5、1コリント6:17)

 B 解体され、焼き尽くされる→神の炎によって焼かれたキリスト(ヨハネ19:28、ヘブル

  13:11,12)

2. 素祭(レビ2章)

 @ 上等の小麦粉→キリストの完全な人間性(マタイ11:29)

 A オリーブ油→御霊の内住(1ヨハネ2:27)

 B 乳香→キリストの復活の香

 C 酵母・蜜を入れてはならない、塩で味付ける→地の塩として塩気を持つ必要(マタイ5

  :13、マルコ9:49,50)

3. 酬恩祭(レビ3章)

 @ 傷のない牛・羊
 
 A 解体して焼きつく→主に対する宥めの香また主の食物としてのキリスト(ローマ3:25、


 5:10,11、1ヨハネ2:2、4:10)

 B 血と脂肪は主のもの→キリストの血と油の蓄えは神のもの(ヘブル10:19、マタイ25

  :1−11)

4.罪祭(レビ4章)

 @ 私たちの内に住む罪への対処(ローマ7:17)

 A 罪のないキリストが罪とされた(2コリント5:21)

 B 神は御子の肉体において罪を処罰された(ローマ8:2)

 C 私たちは罪の元にいない、罪は私たちを支配する力を持たない(ローマ6:7,14)


5.愆祭(レビ5章)

 @ 私たちの犯す個々の罪への対処(ヨハネ1:29、ヘブル9:25,26)

 A 私たちの個々の罪は神の前にはもはやない(イザヤ43:25、エレミヤ31:34)

 B 旧約では覆われていたが(ローマ4:7)、新約では罪は取り除かれている


6.霊的実際−キリストの適用

 @ クリスチャン経験はこのキリストの各面を経験すること→キリストだけが神への芳しい

  香

 A 私たちの生活はすべてキリストにあって満たされ、キリストがなして下さり、キリスト

  が達成してくださったことの証であるべき→自己が焼き尽くされる必要性がある



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