Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2003.03.16
祈りの訓練シリーズ
私たちはアダムにある系列からキリストにある系列に生まれなおされた存在です。今や私たちの父は神です。私たちは神の子となる特権を得ました。すでに子とする霊を受けています。この霊は恐れを抱かせる奴隷の霊ではなく、自由の女から生まれたことを保証する愛と平安と健全な思いの霊です。私たちはキリストといのちを共有するゆえに、イエスと御父を共有しています。クリスチャンの歩みは宗教ではなく、いのちの関係です。まことの父に対しては自分の心をすべて注ぎ出すことができます。思いの丈をぶつけるのです。多くの心を病んでいる人は自分の心を取り繕っています。自分の心の真実に直面することを恐れています。しかし今や私たちは自分の何かによらず永遠に不変であるキリストのみわざのゆえに完全に父によって受け入れられています。神によって拒否される心配はまったくないのです。完全なる確信をもち、イエスが地上におられたときされたように、叫びをもって父に訴えることです。自分の真実をまったき核心の中で父に委ねることこそ、父を最高にあがめることです。私たちの心の状態がどのようであろうとも、天の至聖所にはまことの大祭司なるキリストがいてくださり、そこにはすでに永遠の力をもつキリストの血が注がれているのです。この血のゆえに、私たちは自分のありのままを神に注ぎ出すことができるのです。 |
1. 宗教ではなくいのちの関係
@ クリスチャンとは血統転換−アダムを父とする系列から神を父とする系列に移された存 在(ローマ8:15,16、ガラ3:26、4:6,28,31)
A 祈りは形ではなく、いのちの叫び(ヘブル5:7)
2. イエスに向かって叫ぶこと
@ なぜ形を取り繕うのか→神によって自分の有り様を根拠に受け入れられようとするから(=視点が自分にある)
A 自分を救おうとしないこと(ルカ9:22,23、14:26)
B ダビデの祈り(詩篇の例)
3. 心の病の原因
@ 病の人は泣くことができない→感情のブロックがある(ごまかし・振り・取り繕いなどの自己防衛機制による)
A 原発性の問題と2次的問題:人生において原発的な傷を避けることはできない→2次的な問題は自分に由来する
対処:取り繕いをやめる、原発性の傷みを神の前に持ち出し、注ぎ出す
B フックを外すこと→ある時に抑えてきた感情が解放されると癒される(自分で過去を探るのではなく、御霊に委ねること)
4. 祈りの実践
@ヘブル5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
Aマタイ9: 27 イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」と叫びながらついて来た。
Bマタイ14: 30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
Cマタイ15: 22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
Dマタイ20: 31 そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。
Eマルコ10: 47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
F黙4: 8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」
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