Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2003.03.23

祈りの訓練シリーズ


祈りの訓練F-自意識からの解放(御霊vs肉)

私たちは自由へと召されました。この自由を心行くまで享受するのです。そのためには自分から解放される必要があります。つまり自意識からの解放です。自意識は注意の焦点が自分に置かれるためです。神に受け入れられるために自分の何を当てにすることです。私たちは肉を一切あてにしてはなりません。肉はナッシングなのです!このことを真に知るときに、キリストにある者は罪に定められないことを見ます。これは驚くべき恵みです。私の何かに一切よらないこと、これを究極まで理解する必要があります。宗教の道はキリスト(御霊)ではなく私(肉)です。信仰の道は私(肉)ではなくキリスト(御霊)です。このことを単なる頭の理解に留めるのみではなく、霊の中に打ち込む必要があります。これを心の奥底に実体化するために祈りが必要です。このように自意識から解放される時、キリストのなしてくださった御業のすごさを改めて認識します。するとますます自分に頼らなくなります。自分に頼らないことはすなわち信仰です。信仰があるときにすべての祈りを神は答えて下さいます。ますます喜びに満ち、神をほめたたえ、ただキリストだけに頼るようになります。こうして霊的な拡大再生産のサイクルに入るのです!これが自分を否む生き方―感謝と喜びと信頼に満ちた生き方―です。


1. 宗教vsキリスト信仰

 @ 宗教:自分の方法で自分の何か(考え・態度・行ない・有り様)によって神に受け入
 れられようとする努力


 A キリスト信仰:神の定めた方法で、キリストの何かによって神に受け入れられること
 →自分がどんな人間であるか、いっさい関係ない!



2. 肉vs御霊

 @ 肉による:注意の焦点が自分にある→自分が気になる=自分の肉を当てにしているた
 め


 A 御霊による:注意の焦点はキリストの十字架にある→自分が気にならない=キリスト
 を当てにしている



3. 祈り=自意識からの解放

 @ 自意識が諸問題の根源→自分を自分で縛ってしまう(日本人の特性:強迫傾向=ねば
 ならない症候群)


 A 祈りは神に注意を置くこと

 B 単純な祈り→自分の心を取り繕わない祈り


4. 祈りの実践=御言葉の内的実体化

 ローマ8:1 今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
 ヨハネ6: 63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなた がたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
 ガラテヤ3: 3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなた
 がたが、いま肉によって完成されるというのですか。
 ガラテヤ5: 13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、
 その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
 ガラテヤ 5: 17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。
 この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、(肉にあって)自分のしたいと思
 うことをすることができなくなるのです。
 ガラテヤ 5: 24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、
 十字架につけてしまったのです。
 ピリピ3:3 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なもの(肉)を頼みに
 しない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
 コロサイ2: 11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉の
 からだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。
 コロサイ2: 23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の
 苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何の
 ききめもないのです。



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