Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2003.06.01
御言葉の学びシリーズ
聖書は決して私たちが私的に解釈するべきものではありません。主イエスは譬えで神の国を語りましたが、それは人々に真理を分かり易くするためではありませんでした。譬えは人を選びます。主の譬え話により、心の頑なな人はますます頑なに、心の開かれている人は、真理を喜んで受け入れました。聖書の言葉を私的に解釈して自由を奪われている人が多いのです。御言葉は決して私たちの知性で理解すべきものではなく、霊によって、御霊の照明の下で理解すべきものです。良きサマリヤ人の譬えも、普通は私たちも良きサマリヤ人になるべきであるとするメッセージがほとんどですが、これは人間視点からの解釈であり、どの宗教でも同じです。しかし聖書はイエスご自身を証しする書です。イエスが律法学者に語りたかったことは、あなたは強盗(=サタン)に襲われて傷ついた者であり、それを介抱した良きサマリヤ人とはイエスご自身なのです。イエスは油を塗り(=御霊により)、ぶどう酒(=血潮)を注ぎ、包帯(=覆いなる主)をし、銀(=贖い)二枚(=証しの数字)によって、傷ついた人を救いました。祭司やレビ人(=律法)がなし得なかったことをイエスはして下さったのです。よって律法学者が「隣人とは誰か」と挑発的に問うたこと対して、「あなたも同じことをせよ」と言う答えは、「あなたの隣人とは良きサマリヤ人であるわたし(イエス)である、よって隣人(イエス)を愛しなさい」と言うことです。イエスのみが永遠のいのちを与えることができるのです。人間視点ではなく、イエス視点で御言葉には触れる必要があります。 |
聖書個所 ルカ10:25-37
1.聖書解釈の鉄則
@私的解釈をしてはならない(2ペテロ1:20) A御霊によって息吹かれた言葉は御霊によって解かれる(ヨハネ14:26) B魂の人は神の事柄を理解することはできない(1コリント2:14、原語) C霊のことは霊によってわきまえる(同) D霊の人はすべてをわきまえるが自分はわきまえられない(同15節) E御言葉に光がもたらされるまで待つ(2ペテロ1:21) F御言葉が開けると光を放って無学な者に知恵を与える(詩篇119:130) G聖書はすべてイエスを証しする(ルカ24:27)
2.良きサマリヤ人の譬えの意味
@イエスは人々に福音を分かり易くするために譬えを用いたのではない(マタイ13:13-15)→譬えは人を選ぶ、人を選別するため A律法学者はイエスを試そうとした Bイエスの答えによってプライドを刺激され、自分の正しさを主張しようとして「隣人(愛すべき人)とは誰か」と尋ねた Cイエスは、強盗に襲われたのはあなたであり、救ったサマリヤ人はわたしであると言われた Dイエスは憐れに思い(=イエスの心)、油を塗り(=御霊により)、ぶどう酒を注ぎ(=イエスの血)、銀(=贖い)2枚(証しの数字)によって(参考:幕屋の立て板)、包帯を巻いて(=覆いとしてのキリスト)、宿屋(=神の家)に連れて介抱した(注:私たちはこの世では寄留者である) E祭司もレビ人(=律法)はあなた(=律法学者)を救えず、むしろ自分を暴露するだけ(=剥ぎ取られた) F強盗にあった者(=律法学者)の隣人はわたし(=イエス)であるから、あなたは隣人を愛しなさい(=律法の成就) G旧約(=律法)はいのちを与えることができないが(ガラテヤ3:21)、イエスはいのちを与えることができる(この譬えの本質) →単なる善行に励めということではない(これは宗教に過ぎない)
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