Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2003.06.08
御言葉の学びシリーズ
日本語の聖書は日本語の制限を受けており、日本語で真理を考えるならば、たちまち迷路にはまります。また霊的な冨も相当に欠落しています。ペテロは自信過剰でしたが、3回も主を否むことにより、みじめな自分と向かい合うことになりました。そのようなペテロに対して、イエスは祈りをもって励ましを与えており、復活の後もペテロを顧みました。主はペテロに「あなたはわたしをアガペーするか」と聞かれましたが、ペテロは「私があなたをフィレオすることは、あなたが主観的にご存知です」と答えるしかありませんでした。3度目にはイエスは「あなたはわたしをフィレオするか」と問いかけ、ペテロのレベルに降りて下さいました。ペテロは3回も否んだことを思い起こさせられ、心を探られるだけでしたが、主が主観的にご存知でいて下さることに頼り、自分を明け渡して、そこにすがるだけでした。私たちもペテロのように軽率でみっともない事をしでかしますが、そのときには、「主よ、私があなたを愛することはあなたが主観的にご存知でいて下さいます」と告白して、主の良き御旨に委ねるだけです。ヤコブのように自分の最も自信のある部分が触れられてビッコになる時、私たちはまことに人に仕え、人を牧することができるようになるのです。イエスは私たちのあらゆる必要を満たし、私たちのレベルに応じて私たちをお取り扱いくださり、私たちを養って下さるのです。主の甘いご人格がギリシャ語からはよくよく読み取ることができるのです。
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聖書個所 ヨハネ21:1-19
1. 日本語の限界
@ 霊、魂、心などが混乱している(例:マタイ5:3、26:41、ルカ9:23、ローマ12:2) A 単数形、複数形の区別がなく、時制も不完全(例:sinsとSin、アブラハムの子孫(単)、マタイ16:19、ヨハネ20:23) B 日本語で考えた時点で真理は歪曲される→日本語の世界に引きずられるため C 鉄則:聖書の言葉は聖書の言葉で解釈する
2. イエスとペテロの会話
@ ペテロは他の者が裏切っても、自分だけは裏切らないと宣言した(マルコ14:31) A サタンはペテロを試す許可を得た(ルカ22:31) B イエスはペテロのために祈り、すでに励ましと慰めを与えた(ルカ22:32) C ペテロは見事に3度裏切り、のろいまでかけた(マタイ26:74) D ペテロの最も強い部分を神は取り扱った(cf.ヤコブのヤボクの渡しの経験、「ペニエルの経験」)→ビッコになる、自力では立てない E 復活の後、イエスは弟子たちに現れた(ヨハネ21:1) F イエスは弟子たちの必要を満たした(同9-13節) G イエスはペテロに3回、「あなたはわたしを愛するか」と聞いたが、最初の2回は「agapaoするか」であり、ペテロは「phileoする」と答えた。3回目はイエスも「phileoするか」と問い、ペテロのレベルに降りて下さった。 H ペテロの「わたしがあなたを愛(phileo)することはあなたがご存知です」と答えたが、この「知る」は”oida”であり、主観的に感じて分かること。 I 最後の、ペテロの「あなたはすべてをご存知です」の「知る」は”ginosko”で客観的に知ること。 J ペテロは自ら「あなたを愛します」とは宣言できなかった。よって主に自分を委ね、明け渡すしかできなかった。 K 主の答えは、3回とも「わたしの羊を養いなさい」であり、最初と最後は「牧しなさい」、2度目はもっと広い意味で「養いなさい」の意味(1ペテロ5:2参照)。
3.結 論
@ 主はわたしたちの必要をすべて満たし、わたしたちのレベルに降りて下さる A 羊を牧する働きは、自己が徹底的に扱われている必要がある B 私たちにできるのは、主に「あなたは主観的にご存知です」と告白して、主に委ねることだけ。
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