Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2003.06.15
御言葉の学びシリーズ
聖書の御言葉の適用は、その文脈と対象を見極める必要があります。聖霊派ではその一部を取り出して勝手な解釈を施し、人を脅したり、恐れさせたりすることがよくあります。律法学者たちはイエスがしているわざを見て、あえて「イエスはベルゼブルによってわざをなしている」とか「イエスは汚れた霊につかれている」とか主張し、聖霊を汚しました。聖霊を汚す罪は律法学者たちのように、神のわざを見ていながら、あえて信じようとしない人々に対して適用されるものです。現在私たちはイエスを見ていないが、愛しており、イエスを信じており、救いの喜びを享受する者、私たちのうちには御霊が内住してくださり、いのちなるキリストが私たちのうちに住んで下さっています。キリストと御霊はパースンとしては区別されますが、父と子がひとつであるように、ひとつです。さらにこの方はいまや私たちの霊とひとつです。もし私たちが聖霊を消したり、悲しませたりすることを恐れる心があるのでしたら、また罪を犯すことに対する恐れがあるのでしたら、私たちは「聖霊を汚す罪」を犯していないのです。そもそも私たち信じる者は「聖霊を汚す罪」を犯すことができないのです!イエスに言い逆らうことすら赦されます。私たちのあらゆる罪(sins)はすでに完全に取り除かれており、今やキリスト・イエスにある者は罪定めされることがありません。恐れる者には愛がまっとうされていないのですから、愛を求めましょう。私たちがイエスを愛していることはイエスがご存知でいてくださるのです。神の子の自由を満喫しましょう! |
聖書個所 マルコ3:28-30
1.聖書解釈の原則
@日本語で考えないこと
A御言葉の文脈を無視しないこと
B語られている対象を無視しないこと
C私たちに対する適用の仕方に注意すること
2.聖霊を汚す罪とは?
@聖霊と人の関わりはイエス以前と以後では異なる→本質的満たしと機能的満たし
A御霊は現在「信じる者」の内にいのちとしておられ、同時にいのちを与える霊としてキリストがおられる
B聖霊は現在「自ら語ることはなく聞いたままを語り、イエスのパースンとことばとわざを証し、イエスに栄光を与える」→イエスと御霊は切り離すことができない(パースンとしては区別されるが、父と子がひとつであるように、キリストと御霊も「ひとつ」である、2コリント3:17)
C私たちは「聖霊を悲しませる」(エペソ4:30)こと、「聖霊を消す」(1テサロニケ5:19)ことはあり得る→私たちの不信仰や不従順によって
DCの罪はイエスの血によって赦される!(ローマ8:1、1ヨハネ1:9)
E「聖霊を汚す罪」の条件:「イエスが 汚れた霊につかれている」とすること(マルコ3:30)→イエスとイエスのしるしと奇跡を目撃し、それが聖霊によることを知りつつも、あえて悪霊のわざであると主張すること
Fマルコ3:29は信じようとしない、罪の意識さえも感じていない律法学者(信じない者)に対して適用されるべきもの(マタイ12:32、13:14-15)
G現在の信じる私たちには「聖霊を汚す罪」を犯すことは不可能!!!
3. 結 論
@ 私たちは目に見ていないが、イエスを愛しており、そのことはイエスご自身が主観的に知ってくださっており、イエスには何でも申し上げることができる。
A 恐れがあるときには愛がまっとうしてないから、神の愛を求める。愛は恐れを取り除く。
B 罪の意識・恐れがあることは聖霊を汚していない証拠である(ヨハネ16:8)
C すでに私たちのあらゆる罪々をイエスの血によって洗い流していただいており、キリストにある者が罪に定められることがなく、御霊の内住を得ている私たちは「聖霊を汚す罪」を犯すことができないから、すべての罪は赦されていることに安息することができる!!!
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