Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2003.07.06
御言葉の学びシリーズ
人間は宗教が好きです。日本の宗教法人の会員数は2億とも言われています。宗教とは人間が自分勝手に発明した価値観と方法で神に受け入れてもらい、神に仕える試みです。律法はモーセによって入りましたが、いのちを与えることができず、人を救うことはありませんでした。「憐れみの家」であるベテスダの池にいた病人は、天使が波立てたときまっさきに水に入るものが癒されるという過酷な要求にはばまれて、長年伏せっていました。私たちも肉の弱さによって何もなし得ない者でした。しかしイエスは自らこの病人に近づき、声をかけました。私たちもイエスによって選んでいただきました。彼はイエスの一声で癒されたのです。今は、人の子の声を聞いて死人が生きる時です。子羊イエスは門から入り、羊にいのちを与えるため、それも豊かに与えるために来られました。宗教は人に過酷な要求をし、人のわざを煽りますが、その要求を満たすことはできません。イエスは律法の成就者として、その効果を私たちに伝達し、その上律法を守ることができるいのちを下さるのです。イエス御自身が私たちのいのちです。私たちは自分で何かをするのではなく、うちにいますイエスに何かをしていただくのです。WWJDは偽りです。真理は、生きているのはもはや私ではなく、キリストである、です。この方が私たちの霊の中から魂へと力を伝達し、私たちの体を通して、すべてのことをなして下さるのです。よって、私たちのキャッチコピーはLet Jesus DO!(LJDO)です!豊かな神の本質が宿っている方に生きていただきましょう。私は安息に入ります。 |
聖書個所 ヨハネ5:1-16
1.聖書の記事の読み方
@福音書の作者はやみくもにイエスのわざをリストしたのではない→意図がある A作者は気がつかないとしても、内にいます御霊によって息吹かれるとき、神の意図が刻まれる(1ペテロ1:19-21、2テモテ3:16) B聖書はすべてキリストを証する書である(ルカ24:27)
2.宗教vsキリスト
@人は宗教を好む(コロサイ2:8,23)→宗教ビジネスは儲かる! A宗教とは−人間主体のわざにより、神に受け入れていただき、また神に仕えること(カインとアベルの違い、レビ10:1、民数記3:4) B神はモーセに啓示されたとおりに幕屋を作るように命じた(出エジプト25:9、26:30)→神が主権者であり、真の礼拝者−真理と霊による礼拝者−を求めている C ベテスダの池のしるしの意味 ・ユダヤ人の祭りとは多分シャブオット(ペンコステ)−2章に過ぎ越し、7章に仮庵、注:伝説によると律法を授けられたのはこの時期と言われている ・羊の門の近くにある−門から入らないのは盗人(10:1参照) ・ベテスダとは「憐れみの家」の意味(ヨハネ5:2)、5つの回廊は人の責任を意味する(5=4+1) ・しかしこの律法に代表される宗教の場所には病の人、力のない人が満ちていた(ローマ8:3) ・天使が水を波立てると、最初に水に入った者が癒される→人のわざによる救い(天使は律法を仲介した、ガラテヤ3:19,21) ・イエスが自ら「よくなりたいか」と聞かれた唯一の箇所−主はふつう「わたしに何をしてほしいのか」あるいは「わたしにそれができると思うのか」と聞かれた ・ここのコントラストはいのちを与えない律法(宗教)といのちを与えるイエス御自身の対比(ヨハネ10:10、1コリント15:45) ・無力に束縛された彼はイエスの一声で癒された(ヨハネ5:25) ・宗教家は安息日になされたイエスのわざに嫉妬する(16節)
3.結 論 @宗教は人を救わない、人を救うのはいのちなるイエス・キリストだけ(使徒4:12)→救いとはいのちをえること(コロサイ3:4) A自分の無力さを知るとき、イエス御自身が声をかけてくださる B何をすべきかではなく、誰を信じるか−事から方へ(ヨハネ6:28,29、マタイ19:16,17) Cできる方がうちにいます−この方にしていただく!
WWJDではなく、Let Jesus DO!(LJDO)
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