Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2003.09.21
御言葉の学びシリーズ
私たちはかつてはさまよっている者でした。イエスの十字架も私とは何らの関係もないことと思っていました。イエスは私たちのために苦難を経、死なれたのです。彼の死はすべての人のためでしたが、それを信じる人だけがその益に与ることができます。こうして信じた多くの人が義とされます。イエスの苦難は神のみ旨であり、イエスはその父のみ旨に完全に従ったのです。イエスは私たちの罪々(sins)を担い、さらには罪(Sin)とすらされ、御自身の肉体において罪を処罰されました。私たちの病も負いました。彼が死なれたとき、私も死に、彼が復活した時、私たちも復活しました。イエスは私たちとひとつとされています。私たちは自分の意志を用いて、このイエスの苦難とひとつになる必要があります。実は主の苦難とひとつになることは解放です。なぜなら彼の傷によって私たちは癒され、彼の苦しみによって私たちは平安を得たことが実体化されるからです。いまや私たちはイエスによって勝ち取られています。私たちは主のものです。主は私たちの大祭司であり、あらゆる点で私たち同じ苦しみと葛藤を知っておられます。その主に明け渡す時、主の勝ち取ってくださったあらゆる富が自分のものとなります。苦難を経るほどに私たちは栄光を帯び、また権威を帯びるでしょう。苦難によって私たちは全うされるのです。それが神の子の出現、栄光の望みです。
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1.主の苦難は教会を生み出すため
@教会はキリストの息吹が吹き込まれた存在(ヨハネ20:22)
A私たちはキリストとひとつとされ、彼の経た経験と得たものはすべて私たちのもの(ロー マ6:3-9、エペソ2:6)
2.主の苦難にひとつになる(イザヤ53章)
@2節:主は若枝-エッサイの芽、砂漠の地から出る根-アカシア材(=主の人間性) →イエスはユダに対するヤコブの預言において語られている(創世記49:10)
A3節:イエスの有様→私たちの苦悩や病と同一視されている(ヘブル5:2)
B4節:イエスは私たちの病を負い、痛みを担った、しかし私たちは私たちと関係ない態度 を取っていた
C5節:イエスの苦難はわたしたちのため、彼は罪とさえされた(ローマ8:3、2コリント5: 21)→彼の苦しみが私たちの平安、彼の傷が私たちの癒し
D6節:さまよっていた私たちは神の身元に戻された、すべてのsinsはイエスの上に置か れた
E7節:彼は砕かれたが口を開かない(マタイ27:12)
F8節:彼は暴虐によって取り去れたが、それが自分のためであることを人は知らない
G9節:彼の墓は悪い者と共に設けられ、富む者と共に設けられた(マタイ27:57)
H10節:イエスの苦難は神の御旨であり、そのゆえに彼は子孫を得ることができ、神の み旨は成し遂げられる(ヘブル5:8、10:7)
I11節:彼は自分の苦しみの後を見て満足する(ヘブル10:12)、その知識により多くの 人を義とし(ヘブル5:9、10:14、ローマ5:16、cf.2コリント5:14)、その咎を担う(ヨハネ1: 29、ヘブル9:14、10:22、13:12,13)
J12節:彼は多くの人をとりこにする(エペソ4:8)、それはいのちを明け渡したから(ピリ ピ2:8)、彼は私たちのとりなしをしてくださる(ヘブル2:17,18、4:14,15、6:20)
3.イエスの苦難とひとつになることはまことの安息と癒しをもたらす
@彼と嗣業を共にするため(ローマ8:17)
A御言葉を受け入れ、主に倣うものとなる(1テサロニケ1:6)
B苦難は定め(同3:3)
C内なるキリストを生み出し、育てるため
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