Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2003.11.09


信仰と行い

信仰は何か超自然的なものではありません。法則あるいは道理には物理的領域、精神的領域、霊的領域にそれぞれ定められています。この道理は因果関係の連鎖で機能します。甘い物を食べるならば、口の中に菌が繁殖し、酸を発生させ、歯を溶かすのです。歯が虫歯になってから「主よ、金歯を下さい」と祈るのはナンセンスです。私たちは甘い物を食べ、歯を磨かないことに責任を負うのです。虫歯になりたくなければ、食べ物を選び、歯を磨くのです。これが虫歯になる法則に則った信仰による行いです。道理が分かればそれに従った行動が伴います。これが信仰による行いです。私たちは自分が真に信じたことに従って、状況を認知し、判断と評価を与え、意志決定をし、行いをなします。そしてその結果を自分で刈り取ります。これは永遠の法則です。まことの信仰とは、霊的道理・法則を知り、信じ、それに従って意志を用いて、自らの行動をするのです。これは自己責任の問題です。お金に不足する人は、まず捧げることです。これが信仰に従った私たちの側の責任です。後は神の責任です。神の約束と神の真実が問われるのです。神は決して御自身のご性質に反する振る舞いはされません。神の時と神の方法で私たちのあらゆる必要は満たされます。こうして私たちはますます豊かになるのです。富む者はさらに富むでしょう。神の豊富(Abundance)を心行くまでエンジョイすべきです!そのためには私たちの小さな意志決定の積み重ねが必要なのです。小さなことに忠実である者は大きなものを任せられます。私たちは御国を継ぐ者なのです。


1. 人の責任と神の責任

@ 人の責任:意志による選択→道理に従う、ex.歯を磨かないと虫歯になる
  ※道理は、物理的領域、精神的領域、霊的領域の次元がある


A 神の責任:私たちの力の及ばない領域をカバー→信仰による期待と応答

B 問題を抱える時、人の要素と霊的要素を見分ける必要がある→人の要素に関しては私たちが道理に従って意志を用いて処理する必要がある(丸投げはダメ!)

C 人は自分の口の実を得る(箴言12:14;13:2)、自分の業によって評価される(エレミヤ31:30)→自己責任の原則!

D 聖(Holiness)あるいは健やかさ(Wholeness)とは当たり前が当たり前であること→真の人間性が回復され、人間性を享受すること


2. 真の信仰には行いが伴う

@ 信仰は聞くことにより、聞くことはキリストのことば(レーマ)による(ローマ10:17)

A 何をどう聞いて、何をどう信じるか→私たちの人生を決める(ルカ8:18)

B 人の行動は信じている事に従っている→特に無意識に何気なくなされる行為

C 信仰は行いによってまっとうされ(ヤコブ2:22)、行いのない信仰は死んだもの(同26節)

D 信仰によるいのち増殖サイクル:<告白→血潮→光→安息→いのち→良き実→感謝→・・・・>

E 神の御旨は私たちが物資的にも、精神的にも、霊的にも富むこと!

F 神の子の特権を活用する→霊を用いる・霊の訓練・霊の解放が必要!